バンバンボール【田舎の商店に世界チャンピオンあらわる】1978 スキップしてメイン コンテンツに移動

バンバンボール【田舎の商店に世界チャンピオンあらわる】1978

コカ・コーラボトラーズが火付け役となった『1970年代の第一次ヨーヨーブーム』。実はそれは厳密には1976年、1979年、1982年という3年周期の、それぞれが独立したブームだったのです。要は3年ごとに『ヨーヨーを用いたコカ・コーラの販促キャンペーン』が行なわれていて、その都度、小学生を中心に爆発的な人気を博していたという形なんですね。


もちろん当時の小学生はヨーヨーばかりをしていたわけではなくて、その間に『スーパーカーの消しゴム』やら『スライム』やら『ルービックキューブ』やら『ガンプラ』やら『ゲームウォッチ』やらなんやら、それぞれのブームにいちいちハマっていたわけなのです。今思い返せば小学生というのは実に律儀なものですよね。はい。
 
そしてそんな隙間な時期のある日、当のコカコーラボトラーズ自体が、ヨーヨーとは全く異なる「全く新しいコンセプトの玩具」を仕掛けてきたのです。今日はそんな噺です。

バンバンボールとは?

メカニズム

コカコーラボトラーズがヨーヨーに続き送り込んだのが本日の主役である『バンバンボール』なのでした。これは巨大なしゃもじの形をしたプラスチック製のラケット玩具で、その中心部には小さな穴が開いていて、そこに反撥性のある小さな球が先に付いた細いゴムが通っているというものでした(百聞は一見に如かずという事で画像をご覧ください)。

これを手に持ってバスケットのドリブルの要領で、まさに「バンバン」と弾くのです。そして基本的な遊び方はただそれだけという、なかなかシュールな代物でした。

商品展開

品物は300円の『プロフェショナル』と400円の『スーパー』という2種類で展開されておりました。これは単純に板厚の違いで、小さな子どもが長時間これで遊ぶには、重さの軽い『プロフェショナル』の方がやり易かった記憶があります。
そしてコカ・コーラとファンタの両方を兼ねていたヨーヨーと違い、バンバンボールはファンタオンリーのキャンペーン企画でした。これはおそらく大本のコカコーラボトラーズが「コーラはヨーヨー、ファンタはバンバンボール」と交互のキャンペーン展開を狙っていたのでしょうね。

ターゲットは小学生だったが…

意外と中毒性があった

緑のファンタバージョンを買ってもらった僕(当時小学2年)も早速バンバンやり始めたのですが、これが単純であるがゆえに逆にハマってしまうのです。やり続けると何だかカーニバルのバチ太鼓のような妙なトランス感があるのですよ。そんなわけで僕らは広場に集まり、みんなで一心不乱にバンバンやっていたのです。

高学年にはうけず

しかしバンバンボールにハマっていたのは主に小学校の低学年児童でありまして、高学年のお兄さんたちはかなり覚めた目で見ている感じでした。やはりこの『しゃもじ型ラケット』というものは格好良さを著しく欠いておりました・・・ヨーヨーの方は透明アクリルなどが用いられていてカッコよかったですからね(今見てもスタイリッシュですよ)。


さらにはバンバンボールはデカすぎて、ヨーヨーのようにポケットなどに入れてさりげなく持ち歩けないのも減点ポイントでした。小学校にバンバンボールを持っていくのは難易度高すぎでしたから、その辺も爆発的に流行らない理由の一つでしたね。
あと意外なところでは、バンバンボールがコカ・コーラの看板を背負っていなかったことも、普及という面では悪い影響が大きかったように感じました。当時のコカ・コーラ人気は本当に物凄いものがありましたから、コカ・コーラバージョンのバンバンボールが無かったことは、仕掛け人側の予想以上にマイナスだったのではないかなと感じています。

バンバンボール大会のお知らせ

衝撃的なCM

僕はその後、片時もバンバンボールを手放さず(大げさでもない)、日々バスケットボールのハンドリングのようにバンバンやっておりました。すると通常のゴム紐の長さでは飽き足らず、2倍の長さのゴムひもで、超ロングの『ツッパリ(技名)』を軽くこなすようになってきました。そんなわけで周囲とはかなりレヴェルの差が出てきていたのです。僕が物足りなさを感じ始めたそんな時期に、突然バンバンボールのCMがTVで流れ始めたのです。


それはザ・スパイダーズの『バン・バン・バン』を、かまやつひろしさんがバンバンボール用に替え歌にしたキャッチャーなCMでした。そして驚いたのはその内容でして、それは『バンバンボールのチャンピオンが君の街に来る』という衝撃的なものだったのです。

「二階堂商店」に大会告知ポスター

当時の僕の住んでいた町は『コカ・コーラボトラーズのバンバンボール』よりも『明治のカール』が似合うような田舎町でした。CMを見ても「僕らには関係ない話だろうなあ。せっかくこんなに上手いのになあ」と、半ば諦めきっていたのですね。
そんなある日、学校のそばの「二階堂商店」に『バンバンボール大会』の告知ポスターが貼ってあったのです。そして僕らを色めき立たせたのは『世界チャンピオン来店』というマジックの手書きの文字でした。まさかまさか、あのバンバンボールのチャンピオンが、わざわざ東北の片田舎の小さな商店に来てくれるというのです。僕はもう信じられない思い出いっぱいでした。

豪華景品『カンラジオ』

そして大会の景品も凄かったのです。それはファンタの缶の形をした『カンラジオ』です。まあ今となってはそれがどうしたというものですが、当時は1978年ですからね。体感でいうと、それはもう『ドラえもんの秘密道具』に匹敵するインパクトのある景品だったのです。僕は金メダルを目指す五輪選手のようなストイックさで、日々バンバンボールの練習に挑み「ツッパリ」やら「鯉の滝登り」やら「ロケット」やら、出題されそうな実技を徹底的に練習し、来るべきその日に備えたのでした。

世界チャンピオンあらわる

なかなか登場しないチャンピオン

いよいよ大会の当日になりました。二階堂商店の特設会場(という名の裏庭)は、バンバンボールを片手にした低学年の小学生と、さらには興味本位でチャンピオンを見に来た高学年の小学生で、三密どころではない、ギュウギュウの超満員状態になっていました。しかし定刻になってもチャンピオンは現れません。日はとっぷりと沈み、小学校低学年がその場にいてはいけないような時間になってしまいました(田舎だから通学路は真っ暗だしね)。しかしさすがにそこは引けません。僕らはとにかく待ちに待ちました。すると「チャンピオンが来た!」という声が表通りの方から聞こえてきました。僕はいてもたってもいられず通りの方に駆け出していきました。

チャンピオンに手招き

すると店に横付けされたワゴンの中から赤いジャケットを着たチャンピオンがちょうど出てきたのです。白人で金髪で身長は190㎝を超えているでしょう。見間違うことなきリアルな世界チャンピオンでした。そして僕がリアルな外国人を目にするのはその時が初めてだったのです。
完全に舞い上がってしまった僕は、今考えても信じられないことに、そのチャンピオンの目の前まで行き、大声で「カモーン!カモーン!」と手招きしたのです。周囲の無口で朴訥な東北人たちは大胆な僕の行動に固まっています。すると小2の僕の3倍はあろうかというチャンピオンはニッコリ笑って会場までついてきてくれたのでした。

テキトーな大会

二階堂商店の特設会場はあまりにもギュウギュウ詰めでした。そして時間が押していて、どうにもこうにも大会が開催できなさそうな雰囲気が漂い始めました。そこで大人たちがもにょもにょと何やら相談したのち、チャンピオンが指差しで数人を指名して前に立たせました。そして超基本的な「ドリブル」と「ツッパリ」をやらせたのち、その全員にチャンピオンワッペンを与えたのです。僕はそれを見て当然のことながら非常に納得いかない思いがしました。『おいおいおい、バンバンボールをなめるんじゃないよ』という。しかしながらチャンピオンは「バンバンボールを通じた友情の大切さ」を英語で語ったのち、あっという間に去っていってしまったのです。

フラれ気分で三菱鉛筆

呆然と立ち尽くす僕らに「バンバンボールをお持ちの方にはお土産があります」とスタッフが声を掛けました。僕が渋々もらいに行くとそれはヤクルトと鉛筆でした。しかも鉛筆はノベルティグッズですらなく、ごくごくフツーの三菱鉛筆だったのです。そういえば『カンラジオ』は無かったことになっています。
僕はすっかり暗くなった通学路(広大な田んぼ道)をやり場のない悲しみに包まれながら帰りました。家につくとすでに7時過ぎており、僕はしこたま親から怒られてしまいました。小2ですからね。無理もないです。そしてその日を境に僕のバンバンボール熱は急に冷めてしまい、興味の対象は切手や古銭の収集に移っていってしまいました。

開発したのはオセロの会社

バンバンボールを開発したのは富士企画というおもちゃの開発会社でした。そこはパーティースプレー(いたずらスプレー)を開発したり、あの「オセロゲーム」の実用新案をツクダオリジナルと共同で持っている会社であったりします。そうなんです。バンバンボールはそもそも純然たる日本のオリジナル玩具だったのです。
そんなわけで『バンバンボール世界大会』などあるわけがなく、あのチャンピオンも実は全く実績のない怪しげな存在だったのです(ちなみにヨーヨーの方も当時は世界大会などなかった)。まあ今となってそれをいうのは野暮ってものですし、それに対しての恨みつらみはちょっとしかないのですが(笑)、でもここで改めて思うのです。東北の片田舎の小学校のそばの、本当に小さな個人商店の裏庭に、あんなにキャラの立った『チャンピオン』を連れてきてしまうという、当時のコカ・コーラボトラーズの販売促進部の実行力の凄さですね。その企画力と実行力というのは、まさに『ザ・昭和!』という感じがして、今の時代も見習わなければいけないんじゃないかなと思うのです。

岡村隆史さんのラジオで貴重証言

チャンピオンバンバンボール

2016年に岡村隆史さんがオールナイトニッポン内でバンバンボールを披露しました。岡村さんはチャンピオンバンバンボールを持参し、それを実演して、自らがバンバンボールチャンピオンであることを証明したのです。さらに岡村さんは「大会はジュニアと大人の部に分かれていた」「決勝の種目はロケット(真上に打ち上げ式バンバン)で最後まで続けた自分が優勝」と、僕にとって幻のバンバンボール大会について、大変貴重な証言をしてくれたのです。岡村さんは僕と同い年ですから、なんだかとても嬉しくなりました。

夢の二冠王

そしてなんと岡村さんはヨーヨーもチャンピオンだったそうですから、これはもう心の底から尊敬してしまいます。それがいかに大変なことなのか、僕もリアルタイマーとしてなまじ解るゆえに、まさに『夢の二冠王』としてあがめたい気持ちになります。みんなで拝みましょう。

久々やりたいが劣化問題が

オークションはしゃもじだらけ

そんなわけでバンバンボール熱が40年以上ぶりに沸き立ってしまった僕です。それでついついオークションサイトなどをチェックして見ると・・・あるんですね。これが。それも結構たくさん出品されています。思わず『ファンタ緑色プロフェッショナルタイプ』なんてポチりそうになってしまうのですが、ここで一つ(というか二つ)問題があるのです。それはゴムの劣化問題なのですね。

再販希望

しゃもじ型のラケットはプラスティックですので問題はないのですが、あの細いゴムと、さらにはその先につながっている不思議な素材のボールが劣化してしまっているものが多いとのことなんです。そりゃあ40年以上経つのですから当たり前ですね。コンディションのいいものを中古で探すのは、なかなか大変なことになりそうです。

そんなわけでコカ・コーラボトラーズさん。
再販をお願いできないですかね? はい。無理でしょうね。

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