サディスティック・ミカ・バンド【伝説であり続けた伝説】1973‐2008 スキップしてメイン コンテンツに移動

サディスティック・ミカ・バンド【伝説であり続けた伝説】1973‐2008

僕は1970年生まれなので、音楽的なオリジンはニューミュージック期になります。それゆえに1970年代初頭の「Jロック創成期のロックバンド」というのは、もうその時点で伝説の存在だったのです。今日はそんなバンドの噺です。


1980年代中盤から日本の若い世代でバンドブームというものが盛り上がりを見せていきます。その中で日本産ロックの基となった『はっぴいえんど』や『サディスティック・ミカ・バンド』というバンドに対する評価は、その後のメンバーの活躍とともに『伝説のバンド』として、どんどん神格化されていったものでした。特に海外でライブツアーを行った実績のあるミカバンドは、メインボーカルだったミカさんが(当時は)その存在を消していたことなどもあり、より伝説の度合いが高まっていた印象があるのです。

サディスティック・ミカ・バンド

第1シーズン【Sadistic Mika Band】

加藤夫妻の結婚からバンド結成まで

加藤和彦さんの大ファンだった福井ミカさん(当時高校生)が、加藤さんのコンサート後の楽屋を「ギターを教えてください」と訪ねた事がきっかけで、2人の交際が始まったそうです。その後、順調に愛を育まれて、1970年に2人はめでたく結婚されました。
当時の加藤さんはフォーククルセイダーズ(これもまた伝説のグループ)解散後のソロの時期でした。しかしソロではあまり本人の想定したような音が作れず、次第にバンドスタイルでの活動を望んでいくようになっていたのです。

1971年の暮れに、加藤さんはスタジオミュージシャンだったつのだ☆ひろさん、高中正義さんとともにバンドを結成することになります。しかし凄腕揃いだったために、皆のプライドも高く、それゆえ『上手く行かなかった場合のいいわけ』になるように、そのメインボーカルには、あえて音楽的素養が皆無であったミカさんをキャスティングしたのです。それゆえミカバンドは当初は『コミックバンド』という枠組みでのスタートだったのでした。

バンド名の由来とメンバー

バンドの名称の由来は『ミカさんの料理時の包丁の扱い』からきているそうです。要は彼女の包丁さばきがあまりにもサディスティックだったため(時にまな板に包丁を突き刺しっぱなしだった事もあるという)、そこからオノヨーコさんの『プラスティック・オノ・バンド』をもじって『サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)』となったのでした。
バンドは1972年に「サイクリングブギ」でデビューします。その後、ドラムがつのだ☆ヒロさんから高橋幸宏さんにチェンジするなど、紆余曲折しつつ、メンバーが次第に固まっていきました。それゆえ第1シーズンのミカバンドのメンバー構成は、それぞれの時期により7パターンほどに分類されるのですが、ざっくり基本的にオリジナルメンバーとするならば

加藤和彦 バンマス ギター ボーカル
加藤ミカ ボーカル
高中正義 ギター
高橋幸宏 ドラム
小原礼(または後藤次利)ベース ボーカル
今井裕 キーボード サックス

という形で認知されています。ちなみにキーボード担当としては、若き日の小田和正さんもミカバンドに誘われていたそうです。

クリス・トーマスとの出会いと『黒船』


1973年にファーストアルバム『Sadistic Mika Band』を発表します。 そのアルバムを聞いたイギリスの音楽プロデューサークリス・トーマス氏(ビートルズ、ピンク・フロイド、プロコル・ハルムなどをプロデュース)からオファーを受け、セカンドアルバムのプロデューサーとして迎え入れます。

クリス氏の指示するレコーディングでは、それまでの日本ではありえなかったコンセプチャルな取り組みがなされました。クリス氏の滞在期間に合わせ、2か月弱で行ったレコーディングは苛酷なものとなり、スタジオの使用時間が600時間を超すという当時の記録を作っています(450時間という説は誤り)。そしてそんな状況から生まれたのが名盤『黒船』であり、そのマスターアップは1974年5月の事でした。


クリス・トーマス氏の帰国に合わせミカさんが単身でロンドンに行きます。そこでファーストアルバムの『Sadistic Mika Band』のプロモーションを行い、ミカバンドの現地での認知度が上がっていきます。またそれと同時にミカさんとクリス氏の不倫関係が始まっていったのです。

日本での活動

1974年夏に福島県で行われた大規模ロックイベント『ワンステップフェスティバル』に目玉の一つとして参加します。ちなみに同フェスにはミカバンドの名称の由来になった『プラスティック・オノ・バンド』も出演しておりました。同年秋にはシングル『タイムマシーンにお願い』をリリース。そして続けてアルバム『黒船』をリリースし、実験的かつ斬新なサウンドが評判になりました。

ロキシー・ミュージックのUKツアーに参加

1975年の4月に『BLACK SHIP』として『黒船』がイギリスでもリリースされます。ミカバンドは日本でのツアーを経て、同年10月、クリス氏の招きでイギリスにわたり、当時最も勢いのあった『ロキシー・ミュージック』の前座として全英ツアーに参加します。そこで披露されたミカさんの現代芸術的なパフォーマンスや、各人の演奏テクニックは大評判を呼び、同地の雑誌『メロディーメイカー』において「1852年3月3日、アメリカ海軍は東京湾に入港し西洋文化をもたらした。そして123年経った今、サディスティック・ミカ・バンドはイギリスをツアーしている」と大きく取り上げられることとなりました。
またBBCの人気音楽番組『オールド・グレイ・ウィッスル・テスト』 にも出演し『WA-KAH! CHICO』 と『塀までひとっとび』を演奏します。これも高評価を経て、ミカバンドはイギリスのロックシーンに完全に受け入れられたのでした。

実際の番組映像。貴重ですね。

ミカが帰国せずバンドは解散

イギリスでの評判は日本にも伝わってきました。所属している東芝EMIも戦略を練っており、帰国と同時にサードアルバムの『HOT!MENU』のリリースと、それに合わせた大々的な凱旋ツアーを予定していました。
しかし、帰国の途に就いたミカバンドの中に、バンドの顔であるミカさんが姿がなかったのです。彼女は夫である加藤さんとの音楽活動よりも、クリス・トーマス氏とのイギリスでの生活を選んだのでした。
結局、1975年11月の『HOT!MENU』の発売と同時に第1期のサディスティック・ミカ・バンドは解散となってしまい、予定されていたプロモーション活動も凱旋ツアーもすべてキャンセルとなってしまいます。このようにしてミカバンドの第1期は「加藤夫妻の別離」という形で、あっさりと幕を閉じてしまったのでした。

その後のミカさん

「どうせすぐに帰国するだろう」という声をよそに、ミカさんとクリス氏の事実婚状態は9年にも及びました。その間ミカさんは加藤さんとの離婚手続きなど、必要に駆られる場合以外は帰国せず、そのまま英国で永住権を取得しました。


クリス氏との破局後は料理の世界に転身し、そこでも成功を収めます。その破天荒な人生は多くの日本人の共感を呼び、本人も折々に日本のメディアに登場しています。
また1990年代中盤からは日本での音楽活動を再開させ、1994年にはソロアルバム『ジャラン・ジャラン』を発表。1997年には高中正義さんの日本武道館のライブにも参加するなど元気な姿を見せておりました(詳しくは『第2.5シーズン』参照)。

第1.5シーズン【Sadistic Yuming Band】

1985年、吉田拓郎さんと小田和正さんが発起人となり、国立競技場で『ALL TOGETHER NOW』という大規模なライブイベントが行われました。そのイベントの目玉として『はっぴいえんど』と『サディスティック・ミカ・バンド』という、2大伝説バンド再結成ステージが企画されたのです。しかしながらオリジナルメンバーが揃った『ぱっぴいえんど』に対し、ミカバンドの方は、ミカさんと今井さんが不参加となりました。そこでミカさんの代役は松任谷由実さんが勤め『Sadistic Yuming Band』としてステージに立ったのです。以下はその時のメンバーです。


加藤和彦 バンマス ギター
松任谷由美 ボーカル 
高中正義 ギター
高橋幸宏 ドラム
後藤次利 ベース
坂本龍一 キーボード

ステージでは『タイムマシンにお願い』を披露し、6万人の観客から大歓声を受けました。

第2シーズン【Sadistic Mica Band】

ミカさんを除外しての再結成

1988年1月、元ミカバンドの小原礼さんが夜のヒットスタジオに出演した際に、サプライズゲストとして、加藤さん、高中さん、ユキヒロさんが駆け付けました。そしてその事がきっかけとなり、再結成の話が具体性を帯びてきたのです。この時に中心的になって動いたのはユキヒロさんだったと言われています。
しかし再結成と銘打ちながら、ミカバンドの象徴であるボーカルのミカさんの参加はありませんでした。ミカさんは前述のように当時イギリス在住でしたが、日本のメディアにもちょくちょく顔を出しておりましたので、そんな彼女が再結成に加わらないと言うのは、なかなか衝撃的な出来事でした。そして当の本人も「呼ばれてもいない」「(自分がいないのに)ミカバンドの名称はおかしい」と不快感も表明し、これにより伝説のバンドの再結成に不穏な空気も漂っていました。

桐島かれんが抜擢されるまで

ミカバンド再結成のボーカルにあたっては、最初は1985年のプチ再結成時の流れもあり、松任谷由実さんにオファーが出されました。しかしながら当時の松任谷さんはバブル期の純愛ブームに乗って自身最大の大ブレイク中でありまして、多忙を理由に断られてしまいます。その次には、当時レベッカにいたノッコさんがミカバンドのボーカル探しの噂を聞きつけて立候補してきたそうです。ユキヒロさんも気に入ったことにより、一気に話は進むかと思われましたが、最終的には契約面をクリアできず無しになってしまいました。
最終的には歌手としてデビュー予定だったモデルの桐島かれんさん(ミカバンドと同じ東芝EMI所属だった)を抜擢し、『Sadistic Mica Band』として再活動することになったのです。第2期のメンバーは以下の通りになります。

加藤和彦 バンマス ギター
桐島かれん ボーカル
高中正義 ギター
小原礼 ベース
高橋幸宏 ドラム

当初から短期間で終了予定の企画

当時はバブル期で、さらには空前のバンドブームの絶頂期でありました。そこで東芝の企画部は『短期決戦』をキーワードに、わずか2か月弱の間に、きっちりと売りあがるように計算してこのプロジェクトをスタートさせました。


1989年3月1日にシングル『Boys & Girls』発売
同年4月8日にオリジナルアルバム『天晴』発売
同年4月8日、9日に東京ベイNKホールでライブ
同年7月12日に上記ライブのアルバムとビデオを発売

そして『ミカさんがいないミカバンド』というのは、果たしてどうだったのかなという話ですが、この時のミカバンドはリバイバルに走らず、新しいサウンドを用意してきたのです。



事前に全く実力が未知数だった桐島さんのボーカルも、その新たなサウンドと上手くマッチしておりました。そんなわけで再結成はなかなかの盛り上がりを見せ成功に終わったのです。僕も個人的に『天晴』のナンバーの『ダシール・ハメット&ポップコーン』が、いまだにお気に入りのヘビロテ曲だったりしております。



その後、桐島さんはバブル絶頂期を象徴するタレントの一人となり、翌1990年のソロデビュー時には、ミカバンドのメンバーも楽曲製作などのサポートに回りました。

第2.5シーズン【高中正義 featuring Mika】

1997年に日本武道館で行われた高中正義さんのソロライブ『虹伝説II LIVE AT BUDOKAN 過去へのタイムマシン』に、ミカさんが登場し、featuring Mika という形で『タイムマシンにおねがい』を披露しました。この時はCharさんも登場し、高中さんとCharさんに挟まれるMIKAさんという、なかなか見応えのある絵柄が実現したのです。
久々に表舞台で歌われたオリジナルのミカさん版『タイムマシンにおねがい』は、巨大なカンニングペーパーを見ながらの歌唱になりましたが、『リアルタイム時よりも上手くなっていた』ともっぱらの評判でした。


同日の歌唱の模様は高中さんのライブアルバム『虹伝説II LIVE AT BUDOKAN 過去へのタイムマシン』と、DVD『TOUR'97 虹伝説II ACT-II 過去へのタイムマシン』にて鑑賞することができます。

第3シーズン【Sadistic Mikaela Band】

最初はCMの企画のみだった


2006年3月にキリンラガービールのCMの企画としてミカバンドの再々結成がなされました。CMで使われた楽曲はニューバージョンの『タイムマシンにおねがい』であり、メンバーは以下の通りです。

加藤和彦 ギター
木村カエラ ボーカル
高中正義 ギター
小原礼 ベース
高橋幸宏 ドラム


当初はCMのみの企画でしたが、キリンのサイトにCMで用いられた『タイムマシンにおねがい』のフル音源を希望する声が多数寄せられ、それをきっかけに、このメンバーで本格的にバンド活動をしてみようという動きになったのでした。

再々結成記者会見

2006年の8月に新生ミカバンドに関する記者会見が行われ、そこでニューアルバム『NARKISSOS』の発売と、井筒和幸氏監修によるドキュメンタリー映画の制作が発表されました。


会見では「今までのヴォーカリスト(ミカ、桐島かれん)の中で、木村さんが一番歌が上手い」という、身もふたもない加藤さんの言葉が印象的でした。これは別に深い意味などないそのままの言葉だと思いますが、そうであるがゆえに「ミカバンドにしては耳障りが良すぎるな」という違和感も若干あったものです。その後の活動は以下の通りです。

2006年8月30日 PV用ライブ開催
同年10月25日 アルバム『NARKISSOS』発売
2007年3月8日 NHKホールで『Live in Tokyo』を開催
同年5月23日 DVD『Live in Tokyo』発売
同年10月12日 映画『サディスティック・ミカ・バンド』公開
2008年3月7日 DVD『サディスティック・ミカ・バンド』発売



第3シーズンのミカバンドはTV出演も精力的にこなしており、新たなファン層も出来上がりつつありました。武道館のライブも企画されましたが、当時売れっ子だった木村さんのスケジュールの都合がつかず、そうこうするうちに2009年の加藤さんの突然の死により、それは霧散と化してしまいました。

常に進行形の伝説であり続けたバンドは、こうして遂に永遠の伝説となったのです。





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