ホイス・グレイシー【グレイシー柔術の衝撃】1993‐1995 スキップしてメイン コンテンツに移動

ホイス・グレイシー【グレイシー柔術の衝撃】1993‐1995

今日は1993年より始まったアルティメット大会(UFC)におけるホイス・グレイシー選手の活躍について語っていきたいと思っております。

1990年代は格闘技の時代

1990年代に入りますと、K1や修斗などプロ格闘技興行が次第に盛んになってきました。そうなってくると「どの格闘技が一番強いのか?」「誰が一番強いのか?」という話題が持ち上がってくるのは当然の事です。
この時期、深夜にテレ朝でプレステージという長時間の番組をやっていたのですが、そこでも旬の格闘技の特集が組まれ「何が一番強いのか?」「誰が一番強いのか?」というテーマで、各格闘技団体の長が延々と討論会をやっていたわけです。そして当然のことながら明確な答えなど見つからないのです。

そこにシューティング協会の会長で、初代のタイガーマスクだった佐山聡さんが、ビデオコメントという形で登場しました。そして「誰が一番強いのか決めるんだったら、ルールなしで素手で戦うしかないですよ。目つぶしとか噛みつきとか、男として最低限やってはいけないことだけを禁止にして、それで闘えばハッキリする。でもそんなことをしたら、みんな死んじゃいますけどね」と言ったのです。それに対して、その場にいた一同が、みんな納得したというか「それはそうだな」という空気が流れました。そうです。格闘のプロたちもみんな「そりゃそんな試合形式は無茶だ」と思ったわけなのです。

シャムロックが喧嘩大会に出場


1993年の晩秋のある日、週刊プロレスのパンクラスの試合グラビアの片隅に「シャムロックが米で喧嘩トーナメントに出場決定。ゴルドーも参加予定」という情報が載りました。なんでも「目つぶしと噛みつきと金的攻撃以外はすべてOKの金網デスマッチ」とのことです。そんな試合形式が可能なのかと半信半疑でしたが、当時最強外国人選手だったシャムロック選手と、オランダの壊し屋と怖がられていたゴルドー選手が、そんな過激な大会に参加するというのですから、これはもう注目するしかありません。僕は続報を心待ちにしておりました。

謎の格闘家ロイス・クレイジー

喧嘩トーナメント『アルティメット大会』の一報を伝えたのは東スポでした。そこには柔道着姿の鋭い眼をした細身の男が、決勝でゴルドー選手に勝って優勝した様子を伝える写真が、たったの一枚だけ載っていたのです。ロイス・クレイジーなるその男は、なんとシャムロック選手にも秒殺勝利したというではありませんか。しかし…僕は記事の一文を読んでかなり気持ちが覚めたのでした。
優勝したクレイジー柔術のロイスは主催者の息子だった』

当時の僕は、何事も斜めに見る癖がついておりましたので、それを見て「お察し」したというか…「ああ、こういうことだったのね。そもそもそんな果し合いみたいな事をガチで出来るわけないもんね」と思ってしまったのです。まあ常識的な判断というやつですね。しかしながら…それは僕の見当違いだったことに、直ぐに気がつかされたのでした。

衝撃の第1回UFC大会

第1回のアルティメット大会(UFC1)は1993年11月12日、コロラド州のデンバーにおいて開催されました。詳細を伝える格闘技雑誌から伝わる熱気と、そのあまりにも激しい負傷の具合は「疑似真剣勝負じゃないの?」という疑念を完全に吹き飛ばすほどのものであり、僕は「これは本当にガチンコの試合だったんだ」と確信しました。さらには「ロイス」は「ホイス」であり、「クレイジー」ではなく「グレイシー」だということも、その時に初めて知ったのです。恐るべしグレイシー柔術。僕はどうしてもこの大会の動画を視聴したくなりました。しかし、この第一回大会には、日本からは誰も取材に行っていませんでしたし、さらには生観戦した者も、現地の特派員一名だけだったという状況では、もうどうにもなりません。そして成す術がないまま時は過ぎようとしたのですが…そこで意外な番組がこの大会を取り上げたのです。

ゴールデンタイムで堂々オンエア

それは当時ビートたけしと所ジョージが司会をしていた「世界まる見え!特捜部」という番組でした。新聞のテレビ欄で「危険な格闘技大会」という文字を見た僕は、それがアルティメット大会であることを確信しました。実際に視てみると、それは2分ほどの編集ビデオでしたが、僕が見たかったホイス選手のシャムロック戦やゴルドー戦の決着シーンがちゃんとオンエアされたのです。体重80キロほどの男が並み居る大男たちを撃破し、トーナメントを無傷で優勝する姿に、僕だけではなく、ゴールデンタイムの人気番組で偶然それを視聴していた人々も大きな衝撃を受けました。

第2回大会はNHKが放送

まさかのガチンコ喧嘩マッチ実現に、日本の格闘技界がまさに激震しました。そして大道塾の市原海樹選手のように、実際に大会への出場を目指す者も現れだしたのです。
そんな大いなる注目の中、第2回大会は意外と直ぐに開催が決まりました。そして公式にアナウンスされますと、今回は格闘関係者だけではなく、各メディアもこの大会を放ってはおきませんでした。驚くべきことにあのNHKが第2回大会の放送権を取得し、第2回大会への出場が決まった市原選手に対して密着取材を刊行したのです。普段はクレープ屋さんでバイトをしつつ、己の格闘道を究めるために自分を追い込む市原選手。一回戦でのホイス戦も決まり、かなり期待が高まりました。


第2回のアルティメット大会(UFC2)は1994年3月11日、またしてもコロラド州のデンバーで開催されました。「とにかく自分の素手の一発を入れてみたい」と語っていた市原選手でしたが・・・結果はほぼ攻撃する方が出来ず、ホイスの襟締めでギブアップ負けに終わりました。
この大会は前回の倍の16人参加で、優勝するまでは4試合の勝利が要求されたのですが、ホイス選手はジェイソン・デルーシア選手に多少手こずった以外は難なく勝ち上がり、見事2連覇で大会を終えたのでした。大会の模様はNHKBSで放送され、その衝撃的な内容(選手の質、過剰に対格差のあるカードなど問題も多く、この大会は危険な試合が多かった)に賛否両論が飛び交いました。結局この後、NHKは格闘技に対して消極的になっていってしまいました。

日本向けの第3回大会

第3回大会(UFC3)は1994年9月9日にノースカロライナ州のシャーロッテで開催されることとなりました、この大会はホイス選手とシャムロック選手の再戦のプロモーションが大々的なことでも印象深いものでありました。宣伝ポスターも両者が向き合うものとなっており、トーナメントの山も、両者が決勝まで当たらないように分けられました。
それに対し「2連覇したホイスはともかく、シャムロックの特別扱いはおかしいだろう?」という疑問の声が噴出しました。確かに「ホイス選手に秒殺負け」というリザルトしかないシャムロック選手が、こんなに猛プッシュされることには違和感がありましたが…そこには少々事情がありました。

この頃のUFCは日本市場に目を付けていました。当時の日本はすでにバブル経済ははじけていましたが、むしろ格闘技熱はとても熱い時期でした。それゆえ団体にとっても、選手にとっても、日本は魅力的なマーケットだったのです。さらに当時のUFCは会場確保の問題も抱えておりました。アメリカ本土だと州法やボクシングコミッションとの兼ね合いで、興行を打てるところが限られていたのです。それ故にこの時期のUFCは日本での興行開催をもくろみ、メインターゲットに捉えていたのです。
だからこそ日本でも人気の高いシャムロック選手を、この大会で大々的に推したわけですね。実際この大会は日本から観戦ツアーが組まれており、多数の日本人が試合を生観戦しました。

不完全燃焼に終わる

この時代、格闘技関係の情報がいち早く手に入るのは、土曜日の深夜にオンエアされていた浅草キッドのラジオ番組でした。ですので第3回大会の結果をオンエアしてくれることを期待していたのですが、これがまさにビンゴでした。有難いことに当日、番組冒頭から水道橋博士さんが大会の結果を伝えてくれました。

「ホイスグレイシーの3連覇は無し!」
「そしてシャムロックが優勝したわけではない」
「2人とも負けてはいない」

僕はそれを聞いて「?」という気分になりました。一体どういうことなのかと。すると実情は『ホイス選手が1回戦でキモ選手に勝つも、その試合のダメージにより2回戦を棄権。一方のシャムロック選手は決勝まで勝ち上がるも、ホイス戦が実現しないことに失望して棄権。結局、優勝したのは、シャムロック選手の代打で決勝戦に突然登場してきた無名のリザーバーだった』ということだったのです。
とんだ不完全燃焼の結果にガッカリするとともに、僕はツアーに参加してわざわざ現地まで決着戦を観に行った人たちに心から同情しました。そして3回目の大会にして初めて大苦戦したホイス選手。この大会の模様は南原清隆さん司会の「リングの魂!」という番組でオンエアされまして、僕も当然それを視たのですが、あの無敵のホイス選手が、対戦相手のキモ選手に対格差とパワーの差で圧倒される姿にとても驚きました。そしてここにきて、ようやくグレイシー柔術の弱点が見えてきたのです。

レスラーが台頭した第4回大会

続く第4回大会(UFC4)は1994年12月16日にオクラホマ州タルサで開催されました。僕は前回大会を途中棄権したホイス選手がエントリーしていることに驚きました。あのダメージの受けようからすると、本当に試合間隔が3か月ほどで大丈夫なのかという感じですね。そしてそれに加えて、グレイシー一族の代表として大会に出続けていく「ホイス選手が背負っている重い宿命」というものも同時に感じ、なんだか切なくもなったのです。
そしてこの4回大会は、初めて本格的なレスリング経験者が参加したことでも話題になりました。その選手は日本でもおなじみのダン・スバーン選手です。彼はレスリングのパンアメリカン選手権の優勝者で、あの鉄人ルー・テーズも認める本物のフッカー(本当の技術を持っているプロレスラー)でした。

ペイパービュー大会での重大な失態

ホイス選手もスバーン選手も順当に決勝まで勝ち上がりました。しかしながら両者の試合内容は全然違っておりました。徹底的にミニマムに勝ちを求める柔術家のホイス選手の試合に対し、プロレスラーであるスバーン選手は、格下の相手に対して派手な投げ技を敢行するなど、実に『魅せる』ことも意識した試合をしたのです。それは会場のファンに大うけでした。両者のイデオロギーが交錯する中、果たして決勝戦です。体格に勝るスバーン選手が一方的にホイス選手を攻め続ける展開が続きましたが、一瞬の隙を突いたホイス選手が三角締めで逆転勝利を収め、見事に復活優勝を飾ったのでした。僕はホイス選手の勝利を知って、心の底から「ホイス・グレイシーという男は大したものだ」と思いました。
しかし17分にも及んだ熱闘の為、この時、ペイパービューで放送されていた番組が決勝の結果をギリギリ放送できないままに放送終了してしまったのです。当然、このことは大問題になり、さらにはその後の大会の試合形式に、重大な影響を与える事になるのでした。

第5回大会は初期UFCの最終回

第5回大会(UFC5)は1995年4月5日にノースカロライナ州のシャーロッテで行われました。この大会は前回の「ペイパービュー時間オーバー事件」の反省から、それまでの時間無制限制を撤廃し20~30分の時間制限性(延長あり判定なし)に変更され開催されました。このルール変更に強烈に難色を示したのが、主催者でもあるグレイシー柔術サイドであり、最終的に彼等は権利を一切売却して、UFCから離れる事となりました。それ故にこの大会は「UFCのエポックメーキング」として、のちに意味を持って語られるようになったのです。
上記の理由で試合形式も変更になり、タイトル制が導入され、トーナメントの優勝者とタイトルホルダーが対戦するという大会コンセプトが取り入れられるようになりました。それゆえこの第5回大会は、通常のトーナメントに加え、ホイス選手とシャムロック選手の「UFC初代王者決定戦」が「ワンマッチ」として行われることになったのです。

柔術からMMAへ

時間制限ありで行われたホイス選手とシャムロック選手の試合は、打撃に付き合わないホイス選手と、寝技に付き合わないシャムロック選手のプレースタイルにより、延々と動きのないガードポジションが40分続くという大凡戦の引き分けに終わりました。
一方、トーナメントの方は、アメリカ南部でおなじみのプロレス団体『NWA』のチャンピオンベルトを携えて入場してきたダン・スバーン選手が、見事にオール一本勝ちで優勝を飾り、NWAとUFCという2つのベルトを肩にして大観衆から大きな歓声を受けました。
そしてこれによりUFCは、いかにも日本的な因縁対決よりも、よりアメリカ向けにシフトした形で試合を行っていくようになるのでした。具体的には競技性の確立ですね。そして運営の方も、観客動員による興行収支に頼らず、ペイパービューを収支の柱とした大会運営を行っていくようになっていったのです。

功労者ホイスとUFCの今

ホイス選手は第5回大会を区切りにUFCを離れることになりました。UFCはスバーン選手の登場以降、アマチュアレスリング系の選手が主力となっていくようになりました。そしてそれまで野蛮だといわれ続けてきたMMA(総合格闘技)を、様々な手法を用いて、ボクシングに次ぐ大きな格闘技コンテンツへと成長させていったのでした。今やUFC大会は250回を超え、コニー・マクレガー選手など数々の(それも高収入の)スター選手をどんどんと排出するようになっているのです。それはもう本当に隔世の感有りなのですね。

そしてそれらの基となったのは、やはり初期段階でのホイス選手の頑張りだと思うのです。彼が命がけで頑張ったからこそのUFCだと僕は確信しております。そしてもっと具体的に言えば「彼が負けなかった」からこそ、多くの人が夢中になれたのではないかと思うのです。ずっと憎まれ役だったホイス選手ですが(僕も常に負けろと思っていた)、今となっては僕は彼を本当に尊敬しております。

21年後の3度目の対決

2016年に、実質的な引退状態にあったホイス選手とシャムロック選手の3度目の対決がベラトール149にて実現しました。ホイス選手が50歳でシャムロック選手が52歳。それゆえ僕はこれを「まあエキシビジョンみたいなもんだろうな」と思っていたのですが、両者ともしっかりと体を作ってきており、実際の試合もローブローが入った入らないで大モメになるというガチモードだったのです(公式リザルトはホイス選手のTKO勝ち)。僕はそれを視て

「おいおいおい、お前らそろそろ大人になれよ」

と、思ったのと当時に…やっぱりなんだかとても嬉しくなってしまいましたね。
いつまでもホイス選手には頑張っていって欲しいなと願っております。

ホイス選手の公式サイト





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