僕が青春時代を過ごした懐かしの80年代の、デジタルシンセ『DX-7』の音色に包まれたシャカシャカ・キラキラ系の「ネアカ」ソングを10曲集めました。今回は洋楽女性ボーカル編です。これを聴いて皆さんも嫌な思いなんか吹き飛ばしてくださいね。
ラッキー・ラブ 1987
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カイリー・ミノーグ
1968年オーストラリア生まれ。年少期から子役として芸能活動をしており、10代の頃は俳優業に専念しておりました。1987年に『ロコモーション』で歌手デビュー。本国での大ヒットを受けて翌1988年に『ラッキーラブ』で世界進出すると、イギリスと日本において爆発的な人気を博しました(何故かアメリカでは売り上げがパッとせず)。オーストラリアとイギリスでは安定した人気が続き、ゼロ年代の復活期にはアメリカでもブレイクを果たします。以後、現在まで第一線で活躍中です。
日本との関わりも深く度々来日しており、多くの外国人アーティストが公演をキャンセルした東日本大震災の直後にもライブを行い、チャリティーソングも制作しました。
ラッキーラブ
いかにも80’Sというノリのキャッチャーで明るい曲ですね。日本においてもバブル期にマッチしてバカ売れし、洋楽シングルチャートで12週連続1位を獲得しました。今も中学校の昼休みに流れていたりするそうです。
マテリアルガール 1984
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マドンナ
1958年アメリカミシガン州生まれで『マドンナ』は本名「マドンナ・ヴェロニカ・ルイーズ・チッコーネ)です。1978年に大学を中退してニューヨークに入り、4年の下積みの後に歌手デビューを果たします。それ以後の爆発的な成功は皆さんもご存知の通りでありまして、あのギネスブックにおいても『史上最も成功した女性アーティスト』として、その名が記されております。
そしてその成功は一時的なものに収まらず、デビュー後から現在に至るまで『ショービジネス界の最高峰』に君臨し続けている『超スーパースター』なのであります。
マテリアル・ガール
マドンナにしては「あっさりさっぱり」している良曲です。世界的な大ブレイク曲となった『ライク・ア・バージン』の次に発売された曲でマドンナのシンボリックイメージを決定付けた曲とされています。レベッカが「ラブ イズ Cash」で丸パクリしたことでも有名ですね。これもいかにも80年代的な明るい曲ですね。
オンリーインマイドリーム 1987
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デビーギブソン
1970年ニューヨーク生まれ。1986年12月にシングル『オンリー・イン・マイ・ドリームス』でデビューすると、いきなりビルボード4位の大ヒットを記録します。1987年アルバム『アウト・オブ・ザ・ブルー』をリリース。そのアルバムから1988年にシングルカットされた『フーリッシュ・ビート』が自身初のビルボード1位となりました。
1989年のセカンドアルバム『エレクトリック・ユース』、シングル『ロスト・イン・ユア・アイズ』は、共にビルボード1位の大ヒットとなり、その人気は絶頂期を迎えたかに見えましたが・・・その後、何故かヒットに恵まれず、音楽活動から女優業に仕事をシフトしていくことになりました。
彼女はアイドル文化が根付いている日本とも馴染みが深かったのですが、そもそも日本のアイドル文化を参考に売り出されたとのことです。うーん、その割にルックスは・・・でもまあ歌はいいけど(とフォロー)。その後、妙齢になってからヌードグラビアを発表した際には「そんなところまで日本のアイドルを真似なくても」と思ったものでした。
オンリー・イン・マイ・ドリームス
デビューシングルでリリース時、彼女は17歳でした。曲もPVも明るく爽やかな仕上がりになっており、僕も同い年なので、何だか青春時代を懐かしく思い出させてくれるような一曲になっております。
There Must Be An Angel 1985
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ユーリズミックス
1980年イギリスで結成し1981年にデビュー。1983年にシングル「スイート・ドリームス」がビルボード1位の大ヒットとなり世界的にブレイクします。1984年に映画『1984』のサウンドトラックに参加。翌1985年には代表曲である『There must be an Angel』を発表。全英1位を獲得します。1990年に活動を停止するも1999年再結成し、今に至っております。
There Must Be An Angel
突き抜けた明るさが結婚式のお開きに最適です。ハーモニカはスティービー・ワンダーが担当しております。PVの世界観も含め、何もかもがイギリスのバンドという感じで、やっぱりかなりぶっ飛んでますよね。
日本においても大変人気のある曲であり、フジテレビの朝の情報番組「めざましTV」では、星占いコーナーのBGMとして長らく用いられました。それによって世代を超えた知名度を持った曲になっています。またファンタスティック・プラスチック・マシーンや井出麻理子さんなど、この曲をカバーするアーティスト多く、それらは今だにドラマやCMなどに用いられていますね。
トイ・ボーイ 1987
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シニータ
1963年アメリカ生まれで、年少期は施設で育つなど苦労人であったりします。活動の場は主にイギリスで「ユーロビート」の波に乗り、1980年代後半にイギリスチャートでヒットを連発しました。
1983年にデビュー。1986年のシングル『ソー・マッチョ』がイギリスチャートトップ10入りしてブレイク。ユーロビートブームの波に乗り、80年代後半のイギリスチャート常連となります。日本では『トイ・ボーイ』がメガヒットし、日本の洋楽チャートで1988年の年間1位となりました。私生活ではまさに『トイ・ボーイ』が大ヒットしていた頃、無名時代のブラッド・ピットと2年間交際しておりました。
トイボーイ
最初に紹介した【ラッキー・ガール】に曲調がそっくりで、この『トイボーイ』も『ラッキーガール』と同じ年に、同じように日本の洋楽チャートで12週連続1位になりました。しかしあれですね。この人はルックスが「11億貢がせたチリ人妻アニータ」をなんとなく思わせますね。名前も似てるし・・・しかしブラピってやつは、ある意味凄いとしか言いようがありません。はい。
ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン 1984
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シンディー・ローパー
1953年ニューヨーク生まれ。1978年にバンド『ブルーエンジェル』を結成し、1980年にバンドでデビューします。しかし成功せずずぐに解散し、彼女は自己破産を強いられます。
1983年、生活のために歌っているところをデビッド・ウルフ(マネジメント業)に見いだされ、メジャー契約。ファーストソロアルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』発表。翌1984年にファーストシングル『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン』がビルボード2位を獲得。続く『タイム・アフター・タイム』では1位に輝き、30歳にして大ブレイクを果たしました。その後はトップアーティストして精力的に活動を続けています。
下済み時代に日本料理店で働いていた経験から、大の親日家であり、阪神大震災や東日本大震災に対しても、寄付やチャリティイベントなどを行っています。
ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン
シンディ・ローパーのブレイク曲。日本では長らく「ハイスクールはダンステリア」という邦題で親しまれてきた曲ですが、シンディ本人の希望で原題のカタカナ表記に変更となりました。彼女は親日家であるだけではなく、相当いい人で有名です。売れると途端にわがままになるのが外国人ミュージシャンというものですが(偏見)、この人は例外ですね。
ロスト・イン・エモーション 1987
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リサリサ&カルトジャム
ニューヨークのスラム出身のヒスパニックバンド。1985年にデビュー。1987年にリリースしたセカンドアルバム『スパニッシュ・フライ』が世界的にヒットし、シングルカットされた『Head to Toe』と『ロスト・イン・エモーション』がビルボードで1位を記録しました。この1987年という年は、マイケルジャクソンやホイットニーヒューストンやマドンナといった『超スーパースター』がシングルを立て続けにリリースしている時期でしたので、そこでの一位連続獲得というのは、非常に価値あるものでした・・・が、以後は失速。結果、一発屋的バンドになってしまいました。でも今もなお解散せずにグループは継続中です。
ロスト・イン・エモーション
二曲目のビルボード1位獲得曲で♪ケセラケセラ♪というフレーズが印象的です。同曲リリース時に来日し、多数の音楽番組に出演しておりました。このバンドはなんというかドリカムの原型みたいなものですね。
フィジカル 1981
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オリビア・ニュートン・ジョン
1966年でイギリスでデビュー(活動拠点はオーストラリア)。 1971年のファーストアルバム 『If Not for You』 が全英、全米チャートインし、メジャーシーンに躍り出ます。その後も順調なヒットを重ね。1974年にシングル『愛の告白』 で初のビルボード1位に輝きます。
女優としては1978年に『サタデーナイトフィーバー』でジョン・トラボルタと共演し、映画サントラ共に大ヒットを果たします。その後1981年に発表したアルバム『虹色の扉』は自身の最大のヒットとなり、そこからシングルカットされた『フィジカル』はビルボード10週連続1位、キャッシュボックス8週連続1位、1982年度の年間チャート1位のみならず、1980年代最大のヒットシングルとなりました。以後、病魔と闘いながらも現在に至るまでトップスターとして第一線で活躍しています。
フィジカル
イメチェンを図ったドSのオリビア姉さん。明らかにアレなこのPVは保守的なアメリカ南部では一時期放送禁止になったそうです。そして当時は「変なPVだなあ」ぐらいにしか思いませんでしたが、 今となっては僕もしごいてもらいたいという感じですね。
ブレイクアウト 1986
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スイング・アウト・シスター
1984年にイギリスで結成。1985年にシングル「Blue Mood」でデビュー。翌年発表したセカンドシングル「Breakout」が世界的に大ヒットし、ブレイクを果たします。1987年のファースト・アルバム『It's Better To Travel』も全世界で大ヒット果たし、トップアーティストとしての地位を確立します。ブリティッシュアーティスト特有の洗練性と、凝りに凝った楽曲のアレンジやスタイリッシュなPVというものは、日本の渋谷系アーティストにも大きな影響を与えます。その流れの中で1996年のシングル『Now You're Not Here」が、日本のテレビドラマ『真昼の月』の主題歌となり大ヒットを記録します。以降、スウィング・アウト・シスターのメインマーケットは日本となり、2020年の今に至るまで、定期的な来日公演が続いています。
ブレイクアウト
「いかにもイギリス系」というバンドで、これも明るくて良い曲ですが、今聴くと、実は結構歌詞が説教臭いことに驚きます。まあ当時は世界的にメッセージソングが流行してましたからね。
コンガ 1985
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マイアミ・サウンド・マシーン
ボーカルのグロリアは1957年にキューバで生まれ1960年に家族とともに米国に亡命します。1975年にバンド「マイアミ・ラテン・ボーイズ」に参加。バンドは後に「マイアミサウンドマシーン」に改名し1980年代にブレイクします。1985年リリースのシングル『コンガ』でビルボード10位を獲得。1988年には「 グロリアエステファン&マイアミサウンドマシーン」に再改名し、シングル『Anything for you』ではついにビルボード1位に輝きました。しかしながら、翌1989年からグロリアはソロ活動に専念し、バンドはフェードアウトしていく事となりました。
コンガ
もともとスペイン語でラテンミュージックをやり続けていたバンドだったので、狙ったヒットというよりは、80年代半ばという時代と、この楽曲がうまくマッチした結果のヒットだと感じています。ボーカルは交通事故で再起不能説が流れたりと、なかなかの苦労人のグロリアです。それゆえにこういう明るい曲だけではなく、「Anything for you」のような演歌調のバラードも得意です。そして彼女は相当な親日家でありまして、新婚旅行は「熱海温泉」だったのです。びっくりですね。ですので1985年に開催された東京音楽祭において、「コンガ」でグランプリを獲得したのは、きっと心から嬉しい出来事だったのだろうなと感じています。
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