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Mr.マリックの超魔術!【昭和最末期に登場した謎の超魔術師】1988~

20世紀は超能力ブームが盛り上がっていた時代でもありました。特に1970~1980年代の日本においては「ユリ・ゲラー」や「関口少年」という超能力者(と言ってもスプーンを器用に曲げるくらいのものでした)たちの特番が組まれ大きな反響を呼び、それらをプロデュースした日本テレビのプロデューサー矢追純一氏も時代の寵児となりました。そして時は流れ1988年。超能力ブームも懐かしさを帯びた昭和最末期になって、あの「Mr.マリック」が登場したのです。

バブル期に怪しげな男が大ブーム

昭和最末期でありバブル最盛期でもある1988‐1989年頃に、TV(と言っても日本テレビ限定ですが…)を席巻していたのはMr.マリックという怪しげな男でした。奇術を披露するその男は、自らをマジシャンとも超能力者とも名乗らず、自分の術を「超魔術」と称し、これまでのあまたのマジックショーとは性質の異なった、非常に技術のレベルの高い「疑似超能力」を世に見せつけていたのでした。
当時はTVが視聴率を稼げなくなっていた時代でしたが、そんな中において、このマリック氏の超魔術を取りあげた特番は30%近い高視聴率を稼ぎ出し、大きな評判を呼びました。さらには超魔術時に彼が発する「ハンドパワー」や「来てます!」というキャッチーなフレーズも、その年の流行語になるほどの人気を博していったのです。
 

マリック氏の経歴

マリック氏は岐阜県に生まれ、年少期からマジシャンに憧れ続けていたそうです。高校卒業後はガス会社に就職するも、そこでもマジシャンへの夢を捨てきれずマジックグッツ取り扱い会社に転職します。氏はデパートのマジックグッズの実演販売で腕を磨き、そこから本格的にマジシャンとして活動していくようになりました。その中で、初代引田天功氏やユリ・ゲラー氏といった「マジックと現実の境界」でショーを成立させている人たちに大きな影響を受けつつ、次第に自分自身のショーを確立していったのです(それは殆どユリゲラー氏のショーのパクリだったと後にマリック氏は告白しています)。
そしてそんな生活が20年近く続いた1988年のある日、マリック氏は浅草ビューホテルでのステージ終了後に、日本テレビのディレクターからスカウトされたのでした。その時、彼はもう38歳になっていました。

時代の波に乗る

マリック氏はまずは日テレ深夜の情報番組である『11PM』のショートコーナーで自身の超魔術をTV初披露します。その時は生放送でありましたので、さすがのマリック氏からも過度の緊張が見て取れました。実際、お札を使った超魔術においては、そのタネのほころびがカメラに露呈しかけるのですが、そこはうまい事切り抜けて、マリック氏のお披露目は大成功に終わりました。
その後もマリック氏は『11PM』で超魔術を披露し続けます。それが大きな評判を呼んでくると、今度は当時ゴールデンタイムの超人気番組だった『巨泉のこんなモノいらない⁉︎』の「超能力」の回にマリック氏はゲストとして登場します。
マリック氏は大橋巨泉さんや矢追純一さんの前で500円玉を用いた超魔術を披露し、その見事な腕前に感服した司会の大橋巨泉さんに「この人は超能力者だね」と言わしめます。その後、年末の『11PM』の1時間特番をはさみ、翌1989年からは日テレの「木曜スペシャル」枠において、ついにゴールデンタイムでの『Mr.マリックの超魔術シリーズ』がスタートしたのです。
  

超魔術に国民がハマる

「今では想像もできないくらい凄いお金をかけた番組だった」というマリック氏の言葉通り『木曜スペシャル!Mr.マリックの超魔術シリーズ』は、バブル期ならではの豪華絢爛なド派手な番組でした。マリック氏はそこで
 
『何が起きるか宣言する』
『何回見ても解らない』
『どこから見ても解らない』

というコンセプトの、レヴェルの高いパフォーマンスを披露します。会場には旬なタレント(宮沢りえさん、カケフくんなど)も多数登場して番組を盛り上げました。司会を担当する福留功男アナウンサーとマリック氏のコンビネーションも抜群で、番組はエンターティメントとして完成されたものになっておりました。そうです。マリック氏はここに来てようやく憧れ続けた初代引田天功氏やユリ・ゲラー氏と肩を並べたのです。番組は当然の事ながら大評判になり『ミスターマリックの超魔術シリーズ』は第8弾(!)まで続く人気シリーズとなりました。

様々な問題とバッシング

しかしながら売れたことによる弊害も当然マリック氏の身に降りかかりました。
まずはマリック氏の超魔術を本当の超能力と思い込んでしまう人が続出したということです。マリック氏いわく「ハンドパワーで病気を治してくれというお願いが本当に多かった」「現金をカバンいっぱい持ってきて『馬券を当ててくれ』と頼みに来る怖い筋の人もいた」とのことですが(実際にマリック氏は馬券を当てる超魔術を披露していた)、特に病気の治療の依頼はマリック氏に大きなストレスを与えました。
さらには同業者からのバッシングもマリック氏を悩ませました。特に貨幣を使った超魔術に対しては「貨幣の違法改造というタブー行為だ」と猛抗議が沸き上がったのです。さらにはオカルト評論の第一人者でもある ゆうむはじめ氏が、マリック氏を糾弾する「Mr.マリック超魔術の嘘」という本を連続出版したりと、マリック氏の人気の上昇と比例するように、バッシングの方の熱もどんどん高くなってきました。
そしてそれらの極めつけと言えるのが元マネージャーが写真週刊誌に売り込んだマリック氏の暴露記事でした。マリック氏はこの事が一番辛い出来事だったと近年のインタビューにおいても告白しています。

家庭崩壊と顔面麻痺

マリック氏の大ブレイクは当然彼の御家族にも大きな影響を与えました。特に年頃の息子さんと娘さんへの影響は大きく、マリック氏曰く「当時は家庭崩壊状態」だったとのことです。そして問題はマリック氏自体にも表れたのです。氏は数重なるストレスから重度の顔面麻痺となってしまいました。人前で超魔術を披露するマリック氏にとって、それは致命的な病気でもありました。痛みを伴う治療は壮絶を極め(マリック氏曰く「激痛で暴れてしまうので4人がかりで押さえつけられた」とのこと)、マリック氏はしばらくメディアから姿を消しました。

TV&マジシャン復帰と家族関係の修復

病気から復帰したマリック氏に声を掛けたのは、あのテリー伊藤氏でした。テリー氏はバラエティ色の強い番組にマリック氏を起用し、その中でマリック氏は自らの立ち位置を「マジシャン」というものに戻していきます。これは氏のストレスを大きく軽減させる出来事でもありました。その後、マリック氏は日本テレビにこだわらず、各テレビ局に登場するようになります。曰く「結局、僕のスペシャル番組は全テレビ局でやりました」というオープンな状態となり、ブームという形ではないTVとの落ち着いた関係が生み出されたのです。
近年は人気バラエティ番組である『しくじり先生』にも登場し、マリック氏はそこで「ハンドパワーなんて大ウソ」「ただの手品師です」と、正式にカミングアウトしました。さらにはブレイク当時は崩壊状態だった家族関係が、現在は完全に修復されていることも明かされ、番組はハッピーエンドで終わったのでした。

僕もダークにハマっていた

そんなわけで「めでたしめでたし」という感じなのですが…ここからは僕のマリック氏に対する個人的なお話になります。
僕はマリック氏がブレイクした時に高校生で、しかも3年生という受験期でありました。そしてそんな受験間近の大事な時期に、なんということか、すっかりマリック氏の超魔術にハマってしまっていたのです。まあハマっていたといっても、マリック氏の芸に素直に感心していたわけではなく、逆に意地悪なことに『マリック氏の魔術のタネ暴き』に夢中になっていたのです。言ってみれば「タイガーマスクの正体を暴こうとする”虎ハンター”小林邦明」みたいなものですね。
そんなわけで受験用の参考書などは読みもせず、日々マジック本を読み漁っていたという極悪受験生ぶりなのでありました。さらには本でのトリックの研究だけに飽き足らず、次は映像解析とばかりに標準モードでビデオ録画したマリック氏の番組を、何十回もスローモーションで見るわけですね。そうです。『何かミスはないか?』ってね…もう何という嫌なやつなのでしょうか?

マリックさんすみません

マリック氏は「ビデオの時代なので何度も繰り返し見られることが前提で、その上で解らないようにしていた」とのことですが…こちらもこちらで本気です。頭を何度も切り替えて、色々な可能性を潰していくと…するとやはり何かが見えてくるのです。
特に初期に生放送で超魔術を披露した際の録画ビデオの粗捜しは最高でしたね。さすがのマリック氏も油汗まみれに超緊張しておりまして、普段ではありえないような怪しい動きを見せたりするのです。そしてそういうのを視て、なんとも痛快ウキウキ気分になっていた当時の自分を思い出すと、なんだか僕という人間が本当に嫌な奴のように思えてきてしまいます。はい。 
まあ今にして思えば、僕はマリック氏に受験のストレスを歪んだ形でぶつけていたのかもしれませんね。完全なる八つ当たりです。うん。そして僕みたいなやつこそがマリック氏の一番のお客さんであり、さらには逆に、マリック氏のストレスの一因になっていたのでしょう。今更ながら、マリックさんすみませんでした。そしてマリックさんのこれからの活躍を心からお祈り致しております。

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