【昭和の袋めん】『本中華 醬』『これだね』『ほたてラーメン』他 1973~ スキップしてメイン コンテンツに移動

【昭和の袋めん】『本中華 醬』『これだね』『ほたてラーメン』他 1973~

近年「昭和の袋めん」の復刻販売が盛んであります。懐かしのあの味と再会すると「舌の記憶」というものもあるのだなと、しみじみ実感させられます。今日はそんな懐かしのラーメンたちの噺です。



シャンメンたまごめん(ハウス)1973~1977頃


「私はハウスのたまごめん!シャンメン!」でお馴染みの…って、アラフィフ以上じゃないと絶対に判らないでしょう。もう半世紀近く前の商品なんですね。


僕が物心ついたときには、既に実家の納戸に常備されていた袋めんです。このたまごのキャラクターが本当に懐かしく、それにつられて思い出すのは昭和の日曜日。「大正テレビ寄席」がTVで流れている中、お昼ご飯としてこれがよく出されていたように記憶しています。昭和の日曜日というのは、親戚の人も気軽に遊びに来ているような時代で、なんだかとても華やかでしたね。当時の昼御飯はめん物がほとんどでしたが、それがシャンメンだと子供心に嬉しかったものでした。

そして記憶に残るのがこのCMです。


実は僕は幼稚園時代に交通事故で入院したという親不孝者なのですが(しかも飛び出し)、その退院の手続の間、暇つぶしに視ていた待合室のテレビに、このCMが流れた事を今でもはっきりと覚えているのです。そしてそれ以来、このたまごキャラとは長年御無沙汰だったわけですが…こうやってまた視ることのできる時代というのは悪くないものですね。

CMごと復刻を望みたいものですが、現在(2020年)、ハウス食品はインスタントラーメン事業に全く力を入れておりませんので、正直、それは叶わぬ願いかなと感じます。


本中華(ハウス)1978~2002




「なんちゅうか 本中華」という大橋巨泉のテレビコマーシャルが懐かしい袋めんですね。大橋巨泉のまるで隠し立てのない大物ぶりというものが、実にコッテリ暑苦しくて、そうであるが故に、やけに美味しそうに感じてしまう商品でした。


前出の「シャンメン」の後継にあたる商品で、実家の納戸にも引き続き備蓄された袋めんです。当時では珍しいノンフライタイプの手打ち風味で、乾燥状態でも独特の透明感のある不思議な麺でした。そしてスープの方は「中華ブイヨン」と「しょうゆダネ」という粉末&液体のWスープ方式で、それによりスープに深みとオイリーさが出ていました。ですのでこの商品には、それまでの家庭ラーメンとは明らかに異なる『新時代の味』を感じたものです。さらに途中から「本中華 醤」とマイナーチェンジも施され、最終的には世紀跨ぎをしたロングセラー商品になりました。


そんなわけで復刻希望のコミュニティすら存在する人気商品ですが…シャンメンでもふれたように、「本中華」の製造メーカーであるハウス食品が、あまりインスタントラーメン事業に積極的ではないのです。現役の商品としてラインアップされているのも「うまかっちゃん」オンリーという状態です。そしてその「うまかっちゃん」が典型的なフライめんの商品であることも考えても、今後、「うまかっちゃん」とは製造工程が全く異なる「本中華 醤」が復刻される可能性は、残念ながら限りなく0に近い気がします。

ほたて味ラーメン(サンヨー食品)1983




サンヨー食品の袋めんにしては珍しく「オイルの小袋」が入っている商品で、濃厚なホタテの香りがするホタテ醤油オイルは、とてもとてもコクがあるものでした。僕はこれが大好きでしたねえ。でもすぐに発売終了してしまって、とても残念だった記憶があります。


TVコマーシャルに起用されているのは「ホタテマン」こと安岡力也さんですが、ではなぜホタテマンになったのか? それはかつて安岡さんが「オレたちひょうきん族」に出演した際に、「ほら貝」を「ホタテ」と誤って言ってしまったことから来ているのです。それ以後、誰かが安岡さんの前で「ホタテ」というNGワードを発すると、スイッチオンした安岡さんがキレてしまうというネタだったんですね。それがここまで発展するとはびっくりですよね。


2013年復刻版発売
ほたてラーメンは2013年に復刻版として再発売されます。僕も喜び勇んで買ってみたものですが、袋を開けて愕然としました。なんとびっくり、あの「ほたてエキス」満載の「オイルの小袋」が入っていなかったのです。さらには味の方も、僕の舌が記憶していたものとは程遠い出来のもので、正直あまり美味しくなかったのです。はい。ぶっちゃけ僕は大幻滅しましたね。

2016年復刻版再発売。
それから3年後の2016年にも「ほたてラーメン」の復刻版が再発売されました。僕は前回の記憶がありましてそれをスルーした(同時期に復刻された「これだね」を買っていました)のですが、今回この文章を書くにあたり、今一度「ほたてラーメン」を検索してみたところ、2016年の復刻版には、なんとあの「ホタテエキス小袋」が復活していたのです。それを見て僕は大きな衝撃を受けてしまいました。なんだよ買っておけばよかったと…
そんなわけで僕はサンヨー食品に2回も裏切られたわけです。そこはちゃんと反省してもらうとともに、「ほたてラーメン」の復刻版の3度目の発売を要求いたします。かしこ。

東京ラーメンこれだね(サンヨー食品)1986~



醤油ベースを練りこんだフライめんという、サッポロ一番お得意のパターンの袋めんなのですが、特徴的なのはスープでして、粉末タイプと液状タイプのスープが、それぞれ同じ大きさの袋に入っているというのが、それまでの袋めんにはないパターンのものでした。その味にはグルタミン酸系の深いコクがあり(『ほたてラーメン』と同系統の味)、それでいてあっさりしているので最後まで飲み干せる逸品になっていましたね。


そしてこの「これだね」は袋めんだけではなくカップめんでも展開しておりました。こちらは醤油味の「東京」だけではなく。みそ味の「札幌」と、とんこつ味の「博多」もラインナップされておりました。これは1.25倍という微妙なサイズの商品を販売した事でも話題になりましたね。


そして「東京ラーメンこれだね」の思い出といいますと、バブル期に僕が上京した際、あまりの赤貧生活に音を上げ、実家に「生活が苦しくてインスタントラーメンしか食べていないよお」と手紙を送りましたら、何を勘違いしたのか、母親から箱でこれが送られてきたことですね。いやいやそういう意味じゃないよと(苦笑)。たしか翌月には「本中華」も送られてきたのかな?そんな天然ボケの母親も他界してからずいぶん時が経ちましたねえ。


「これだね」の復刻は「ほたてラーメン」同様に、2013年と2016年になされています。


とっぱちからくさやんつきラーメン(サンヨー食品)1987年~

「すぐにやみつきになるラーメン」という意味で、後に大物映像クリエイターになる佐藤雅彦氏が電通時代にプロデュースした商品です。商品名は長いですが、佐藤氏お得意の「商品名連呼型不気味系CM」のおかげで、一発で覚えてしまいますね。


麺がそれまでの袋めんにはありえなかったほど細く、スープの方も、当時は豚骨タイプのインスタントラーメンがほとんどなかった時代でしたので、スープのコブクロの封を切った瞬間に、あの独特の豚骨臭が漂ってきて、それに慣れていなかった僕は「うえええ~」とむせてしまいました。しかし、食べ始めるとあらびっくり!まさにやみつきになる味で、しばらくすると僕の定番の袋めんになったのです。はい。なんか悔しいですけど。

個人的な思い出としては、僕の家に遊びに来た九州出身の友人が、このラーメンを見て「おれはインスタントラーメン好きなんだけど、このとんこつ味だけはどうしても食べられないんだ。地元のとんこつラーメンと全く別物過ぎるんだよ」と言ったことですね。その後しばらくして「東京で本物のとんこつラーメンを出している店を見つけた」と、その友人に連れられて、東京の小川にある九州ラーメンのお店に行ったのですが…「とっぱちからくさやんつきラーメン」に慣れ切った僕の鼻と舌には、それはあまりにも強烈な味でして、一口で悶絶したことが懐かしいです。ちなみにその店は今も大人気で現役のようですね。


発売翌年の1988年には「これだね」同様にカップ麺タイプも発売されました。このカップ麺は2008年にリニューアル商品として独自に復活しました。



袋めんの復刻は2013年に果たされています。僕も早速買い込んで調理です。そして出来上がったそれを一口すすると、まるでフラッシュバックのように、当時の友人の姿が突然鮮明に思い出されまして、本当に涙が出そうになりました。そして味の記憶というものは凄いものだと、そこで改めて実感したのです。



と、思いついたものをつらつらと取り上げてみました。どれもこれも思い入れが深く、そして美味しい記憶に包まれた商品でしたね。

そんなわけでメーカーのみなさま。採算を度外視した「復刻版キャンペーン」を今後もどしどしお願いいたします。僕も体力のある限り食べさせていただきますので、何卒よろしくお願いします。




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