一休さん【国民的アニメのトラウマエピソード】1975‐1982 スキップしてメイン コンテンツに移動

一休さん【国民的アニメのトラウマエピソード】1975‐1982

今日は

すきすきすきすきすきすきすき♪
あいしてる

という、実に刺激的なフレーズでお馴染みの、あの『国民的アニメ番組』のトラウマ回についての噺です。




一休さん

1975年10月から1982年6月までテレビ朝日(NET)系列で放送された30分の子供向けアニメーション番組です。主人公をはじめ、物語は実在の人物をもとに製作されており、南北朝末期の動乱の中、安国寺の小僧一休が、周囲の仲間とともに、様々な無理難題を得意の「とんち」で乗り越えていくという痛快歴史活劇です。
番組は大きな人気を呼び、最高視聴率は27.2%を記録し、国民的アニメ番組として全296話という長期放送となりました。

その児童教育的な内容から、番組は中央児童福祉審議会から推薦されており、OPの冒頭には安国寺の門の絵とともに「中央児童福祉審議会推薦番組」というテロップが表記されておりました。ちなみに初期の単独スポンサーは笹川良一会長の日本船舶振興会ですからね。ある意味、表からも裏からも評価されている番組だったのです。

登場人物

一休さん → とんち小僧。実は8歳
母上さま → ネグレクト。普段はテルテル坊主

お師匠さん → 怒ると怖い
兄弟子たち → 秀念は弥生さんに惚れている

さよちゃん → やきもち焼き
おじいちゃん → 目立たない寺男

将軍様 → お茶目だが結局は足利義満
新右衛門さん → 顎が割れている切腹マニア
 
桔梗屋さん → 人の世の生き血をすする商人
弥生さん → 性格が悪い娘。実は24歳

やんちゃ姫 → うざい
どちて坊や → とてもうざい

という感じですね。これ以上、こんな国民的番組を詳しく説明するのもアレですので、あとはWikipediaでも読んでくださいね。そんなわけで本題に入ります。

トラウマエピソード

今回紹介するエピソードは「一休さん」の第9話の「めでたくもあり めでたくもなし」です。初回放送は1976年の1月7日で、お正月ムードがまだ漂う中でオンエアされました。

「めでたくもあり めでたくもなし」

都はお正月で華やいでいます

兄弟子たちはみんな故郷へ帰ってしまい一人ぼっちの一休。和尚さんと一緒に桔梗屋さんに呼ばれて御馳走になります

お雑煮をたらふく頂き、さらには桔梗屋さんをとんちでやり込め、お正月から上機嫌の一休さん

「お正月がずっと続けばいいのになあ」と帰り道、橋の下で何やら騒ぎが

戦(いくさ)で家をなくした農民を河原から追い出す侍たち。将軍様が初詣する際に、みすぼらしいものを見せないようにするためとのこと

そしてそんな理不尽を指揮していたのは…なんと新右衛門さんだった!つめよる一休さんに対し、言葉が出ない新右衛門さん

行き場をなくした農民は安国寺に集まってきた。本堂を開放して泊まらせることに

さよちゃんも戦で両親を亡くしていた。戦に憎しみを募らせる一休さん。しかしそうはいっても貧乏寺の安国寺。寝場所は提供できても食料は出せない現実

いつもの倍速のとんち。新右衛門さんに言いがかりをつけて、滅茶苦茶な要求をする一休さん

桔梗屋さん、越後屋さん、堺屋さんを、いつも以上の強引な屁理屈でとっちめちん!

商人たちから大量のおにぎりをゲットし、意気揚々とお寺に帰る一休さん

しかし本堂は老人と子供以外、もぬけの空なのであった!


寺にやってきた侍に「男は砦を作れ!女は炊き出し!戦を手伝えばたらふく食わせてやるぞ!」と言われた農民たちは、銀シャリに心奪われて戦へ向かったのだった

戦に追われたはずの農民たちが、自ら進んで戦に行ってしまったという圧倒的な現実。己の無力感に絶望する一休さん。「みんなばかだ~ そしてそれを止められない私が、一番のおおばかだ~っ!」。すると突然、真っ黒な画面にテロップが・・・

『元旦は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』



お屠蘇ムードに浮かれる京の都。しかしそこにいきなり髑髏が掲げられる!

髑髏に恐れおののく町の衆。「一休さんだ!とんち小僧がおかしいぞ!」

「ご用心なさーい!ご用心なさーい!」と叫びながら大路を歩く一休さん。「お正月なのに縁起が悪い事をするな!」とカンカンの町の衆は一休さんに投石を始める


投石の雨あられの中、「ご用心なさーい!」と叫び続ける一休さん。やり場のない怒りと悲しみに涙が頬を伝う。

一休さんの顔が青くなり、その上にまた『元旦は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』の狂歌が重なって話は終了。なんというBAD END… 直後に「おもしろかった?じゃ~ね~」と、いつものアイキャッチが普通に出るのが逆に衝撃でした。

個人的な感想

一休さんは僕が住んでいた福島では10か月遅れの1976年秋からスタートしました。僕は当時6歳で、幼稚園から小学校に入学していくような時期でした。それゆえ、一休さんのこの回の衝撃というものは、それはもう破滅的なものだったのです。
僕の世代の子供向け番組というと、世界名作劇場は『フランダースの犬』(コゼツ、ハンス)で、仮面ライダーは『アマゾン』(十面鬼ゴルゴス、大切断、変身シーン)で、さらには動物ものは『ガンバの冒険』(ノロイ様)という、トラウマオンパレードだったのです。だから一休さんに対しては、ある意味で油断をしていたというか、こういうトラウマ関連に関しては全くのノーマークでしたので、この救いのない話に対し、ある意味、一休さん以上に僕が打ちのめされてしまったのです。ほんと「何もお子様向けアニメでここまで追い込まなくていいじゃないか…」という思いは、今でも少しというか…かな〜り、ありますね。

一休宗純

『一休さん』のモデルは室町時代の怪僧の一休宗純です。宗派でいうと臨済宗になります。実際の彼は天才少年的な描かれ方をしているアニメ版の『一休さん』とは異なり、かなり破天荒な人物だったそうです(詳しくはWikipedia参照)。そんな彼の逸話から江戸時代に『一休咄』という読み物が作られ、それが『一休さん』の元ネタになったということなのですね。



この『めでたくもあり めでたくもなし』のエピソードも、一休宗純が実際に『お正月に髑髏を掲げて都大路を練り歩いた』という話がモチーフになっています。その行動の真意は「正月をみんな喜んでいるが、実は冥土に一歩近づいただけとも言える。物事には常に表と裏があることを用心しなければ駄目だ」という理なのですね。

うん。解ります。
でも幼児相手にその教えというのは、やっぱりまだ早すぎたような…






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