前田明凱旋ベルト【欧州ヘビー級ベルト サイドバックルの謎】 1983 スキップしてメイン コンテンツに移動

前田明凱旋ベルト【欧州ヘビー級ベルト サイドバックルの謎】 1983

プロレスの世界には若手の『海外武者修行』という制度があります。入門した若手に芽が出てきたら、アメリカやヨーロッパなど海外マットに2~3年送り込みプロレス修行をさせ、さらにはそこで体を大きくさせて、その帰国時に『凱旋』として大売り出しするわけです。
皆さんご存じの前田日明(当時は前田明)選手も、そんな『海外武者修行→凱旋コース』を経験した一人でした。しかも前田選手は修行先でチャンピオンになって凱旋するという大変な優等生ぶりだったのですね。
今回はその前田選手が凱旋時に持ち帰ったベルトについて、それもその『ベルトのサイドバックル』についての噺を致します。


前田の箔付けベルト

前田明(現:前田日明)選手が海外遠征から凱旋したのは、さかのぼること1983年の春、新日本プロレスの『IWGPシリーズ』への参戦の為にでした。そしてそのIWGPとは『世界中に乱立するチャンピオンベルトを一つに統一する』という壮大なコンセプトの大会だったのですね。それゆえ、そこに抜擢されたわけですから、当時の前田選手は新日本プロレスから時期エース候補として大いに期待されていたということになります。

そして前述のとおり、IWGPは『チャンピオンベルトを一つに統一する』というコンセプトでしたので、イギリスマットで武者修行していた前田選手は、同地の王者であるウェインブリッジ選手から「ヨーロッパヘビー級王座』を奪取してきたということになっておりました。


これはもちろん前田選手への拍付けです。しかし拍付けと言っても、現地で行われたタイトルマッチの認定式には新日本プロレスの幹部の新間寿氏もきちんと帯同しました。さらには『プロレスの神様』であるカール・ゴッチさんも同席して絵作りしているあたりに、新日本プロレス…というよりは『猪木=新間ライン』の、前田選手に対する並々ならぬ期待を感じさせますね。

ウェイン・ブリッジ選手


ちなみにこのブリッジ選手は相当な親日家でありまして、前田選手のみならず佐山サトル選手や獣人サンダーライガー 選手の中の人、さらには西村修選手などのイギリス遠征のお世話をしてくれたという、とてもいい人なのでありますた。
特に前田選手との交流はその後も続き、あの東日本大震災の際には「家族ごと面倒を見るからイギリスに逃げて来い」と直ぐに連絡が来たそうです。2020年没。心より御冥福をお祈りいたします。

ブリッジ選手の『世界ヘビー級』ベルト

そしてブリッジ選手のベルトを見てもらえばわかりますが、前田選手が持ち帰ったベルトとは明らかに異なるのですね。これはおそらくブリッジ選手が長らく保持した『英国ジョイントプロモーション版世界ヘビー級王座』のベルトだと考えられます。

ですので、おそらくブリッジ選手は、それまで空位になっていた『ヨーロッパヘビー級王座』に自分で戴冠し、そこに前田選手を挑戦させる形で前田選手の凱旋の花道を作ったのでしょう。それで調印式もろもろは『世界ヘビー級ベルト』を用い、前田選手の凱旋には、そのベルトをモチーフにした『ヨーロッパヘビー級ベルト』を、新日本プロレスが自ら新たに作ったのだろうと推察できるのです。


そんなわけで前田選手が巻いていたベルトは、その作り的にみても、いつもの新日お抱えのメーカーが作ったものだと考えられます。そしてそれについては、今さらもう何も言うことはないのですが…僕には、どうにもこうにもぬぐえない『違和感』というものが、このベルトにはずっとあったのでした。

新日版欧州ヘビー級ベルト



新日版ヨーロッパヘビー級ベルトが実際に使用されたのは、1983年の前田選手の帰国時の『プロモーション撮影』と、蔵前国技館で行われたポール・オンドーフ選手との凱旋試合のみでありました。ここで今一度、そのベルトの全景を見てみましょう。


トリコロールカラーを大胆に取り入れており、皮もいつもの黒革ではなく無彩色の茶色です。こうして改めて見ても、当時にしては珍しいカラフルなベルトですね。そしてセンターのメインバックルはシンプルにまとまっていて、ここも赤く彩色されています。まあ全体的に、とても華やかに仕上がっているベルトだと感じます。

サイドプレートの違和感

・・・と、言いきりたいところなのですが、ここで僕が違和感を持ってしまうのは、同ベルトのサイドプレートなのです。それは何故なのか?少しわかりやすい画像で詳しく見てみましょう。


このサイドプレートを見てください。ベルト部分やメインバックル部分に比べて、格段に出来が良いといいますか、妙にクオリティが高すぎるのです。しかもバックルが6つもあって、さらに大きさも3種類あるという芸の細かさです。『メインバックルに力が入っていてサイドプレートが手抜き』というならまだ解りやすいのですが、なぜこのベルトはこんな事になっているのでしょう? そもそも、こんな急造ベルトに、何故、新日本はそんなに手間を掛けたのでしょうか?

僕は疑問の海に沈みました。

外されていたサイドバックル


それからあっさり30年(!)ほど過ぎたある日のこと、とあるプロレスショップで、新日本プロレスのチャンピオンベルトが展示されました。それもかなり力の入った展示でありまして、普段はあまり公開されたことのない、マニアックなベルト(シンのアジア王座など)まで、その時には蔵出しされていたのです。


そしてその中に、件の『ヨーロッパヘビー級王座』も珍しく展示されていたのです…が、ご覧の通り、何故かサイドバックルが全て外されていたのです。僕はこの無残な姿を見て、ある事を直ぐに思い出しました。そしてこのベルトに関する謎というものをようやく解明できたのです。

なんでも鑑定団の古舘ベルト

1995年に人気バラエティー番組の『開運!なんでも鑑定団』に古舘伊知郎氏が出演した際に、古館氏はプロレスのアナウンサー卒業時に、あのアントニオ猪木さんからプレゼントされたカール・ゴッチ由来の『実力世界一ベルト』(このベルトの話もバケツ3倍分くらいありますが、キリがないのでそれはまた後日)の鑑定を依頼したのです。

ベルトは300万円の高額鑑定になったのですが、そこで鑑定士の方が「サイドバックルが逆さまに付いている」と指摘したのですね。「一度なにかで外れて付け直したのではないか?」「金具に外して締めなおした跡がある」と…では、それはなぜ、いつ行われたのか?


もう皆さんもお分かりですね。そうなんです。『欧州ヘビー級ベルト』のサイドバックルは、『実力世界一ベルト』のサイドバックルを、そっくりそのまま流用していたものだったのです。 
 

実力世界一ベルトから流用



そもそも前田ベルトのモデルになったブリッジ選手のベルトには、サイドバックル自体が無かったのですね。だから最初は前田ベルトにもサイドバックルは作られなかったのだと思います。しかし、いざ完成品を見ると、それがあまりにもチープな出来栄えだったと…そこでゴッチ氏から猪木さんに寄贈され、事務所で眠っていた実力世界一ベルトのサイドバックルを取り外し、それを前田凱旋欧州ベルトに取り付けたというのが、この一連の出来事の真相だと思います。


もう戻らないものたち


前田選手の凱旋が1983年で、その2年後の1985年の『猪木vs藤波』の際に、『実力世界一ベルト』がリング上に持ち出されましたから、おそらくその間に、またサイドバックルが元に戻されたのでしょう。そしてその際にうっかり逆さまに取り付けてしまったものだと思われます。その後、1987年に『実力世界一ベルト』は古舘氏に寄贈されてしまったわけでして、それゆえ、前田ベルトにあのサイドバックルが戻ることは二度となかったのです。


うーん、これだとなんだか安っぽさが急に全開になるというか、確かにこの状態では『急造ベルト感』が半端ないように見えますね。サイドバックルを流用したというのは、やはり良いアイディアだったのかもしれません。はい。

そんなわけで、割とどうでもいいことを(僕にとってはどうでもよくありませんが)、長々と書いてしまったわけですが…これを書いていくにあたって、若き日の前田選手の当時の資料をたくさん見たのですね。そしてその魅力たるや、これはもう猪木さんや新間氏ならずとも、大いに期待せざるを得ない無限大の可能性というものを感じたわけです。




『パスト・フューチャー』。それはあの日の前田選手に重ねた近未来像。『猪木の後継者』としての前田選手の姿を、今一度夢に見つつ・・・

おしまい。




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