スポーツ庁の初代長官を退任された鈴木大地さん。さっそく政治家への転身が囁かれておりますが、現役の水泳選手の頃の彼を視ていた人間としては、彼が組織のトップに立つなんて、ましてや政治家になるだなんて、ちょっと想像できない出来事なのです。ほんと隔世の感ありといいますか…今日はそんな鈴木さんの一世一代の大勝負。ソウル五輪の100m背泳ぎの噺です。
アウトロー鈴木大地
僕も水泳部に在籍していた事があるので分かるのですが、30年前…というより結構最近まで、水泳の世界は体育会系的にとても厳しい世界でした。選手個人の活動にしても「バラエティなどもってのほか」という空気が凄くて、みんなそれに従っている感じがあったのです。そしてそんな堅い体育会系の中で、鈴木大地選手はアウトローというか、かなりツッパっていた選手でして、その佇まいというものは、正に一匹狼という雰囲気だったのです。
鈴木選手はソウル五輪の選考会であった1988年の日本選手権で、自分の種目である背泳ぎの他に「100m自由形」にもエントリーしました。これは「日本一早いスイマーを決める種目」ですので、そこに背泳ぎ専門種目の鈴木選手が出るというのは、かなり挑発的な行為であったわけです。結果…鈴木選手が競り勝ち優勝してしまったのです。それにより、自由形が専門種目の選手達は、そのメンツが丸つぶれという事態になってしまいました。
これって普通は絶対にやらない事なんですね。あえてそれを行ったというところに、表向きの理由ではない、不穏な何かを僕も感じたものでした。
不愉快な記者団
そして本番のソウル五輪。鈴木選手を世界のトップに押し上げたバサロ(潜水)泳法は各国の選手に研究されてしまい、五輪直前には、鈴木選手は金メダルはおろか、メダル獲得そのものが厳しいのではないかと噂されておりました。
そして実際に予選において、アメリカのデビット・バーコフ選手が驚異的な世界新記録で1位となり、同泳者だった鈴木選手に1.5秒という、この種目においては絶望的な大差をつけたのです。予選を泳ぎ終わった鈴木選手に記者団がインタビューに行くのですが、これがなんか「もう金メダルは無理だよね~」的な空気が漂う聞き方でして、それに対して鈴木選手は不快感を隠そうとしませんでした。
「タイムはどうですか?」
「朝にしては良かったんじゃないですか」
「マークする選手は?」
「いないです自分です」
「54秒台は?」
「・・・・うん」
「決勝にむけて作戦は?」
「ありますよ」
「どんな作戦ですか?」
「内緒」
「わははは」
まあ要は沢尻エリカの「別に」みたいな雰囲気ですね。僕もこれを夕方のニュースで見て、鈴木選手に対する軽薄な記者達の態度にむっとしました (当日はファンであるカール・ルイス選手がベン・ジョンソン選手に負けた日でもあったので僕も機嫌が悪かった)。
そんなわけで、僕は鈴木選手がやりそうな作戦を考えながら夜の決勝を待ったわけです。
電気方式のタッチパネル
スポーツ誌「Number」のコラムで、鈴木選手の事が取り上げられておりまして、そこには
「この五輪から電気方式のタッチパネルが導入される。これまでの目視方式ではなくなるので、とにかくパネルにいかに早く触れるかが勝負になる。鈴木は最後のストロークを低く鋭く突く練習をしている。さらには本番の決勝では、指が折れるのもいとわず、手のひらを伸ばした状態でタッチパネルに手を突き立てるそうだ。だからもし本番のレースにおいて、ゴール間際が混戦だったとしたら・・・私はどれくらい興奮してその光景を見つめるのだろうか?大注目の100M背泳ぎの決勝はこの号の発売日である」
と書かれていたのです。それを読んで僕は「なるほどタッチかあ…でも1.5秒差は正直きついよな」 と感じておりました。僕も中学時代は水泳部でしたので、その重さは実感としてわかっていたのです。
バーコフ選手を威嚇
「去年のユニバーシアードで闘った際にメンタルが弱いなと感じた」
というのは鈴木選手のバーコフ選手評ですが、予選でつけられた1.5秒という大差を縮めるために、決勝においては鈴木選手自分のペースアップだけではなく、バーコフ選手になるべく動揺を与えて、泳ぎのバランスを崩させる事も必要だと考えたわけです。
弁護士志望のバーコフ選手は、スポーツ選手としては小柄でであり、見るからに「いいとこの坊ちゃん」という雰囲気でした。対するライバルは「アウトロ―タイプ」の鈴木選手であり、さらには大柄で「無口系の共産圏人」であったソビエトのポリャンスキー選手だったのです 。
ポリャンスキー選手は背も高く本当にいかつい男でした。
バーコフ選手が出遅れる
そんなわけで決勝の舞台で『オラオラモード』の鈴木選手とポリャンスキー選手に挟まれて、心持ち小さくなって入場してきたバーコフ選手を見て、僕はある事に気が付きました。それは「入場の際からバーコフ選手がスイミングキャップを被っていた」という事なんですね。さらにはコール時にはもうゴーグルも頭につけておりました。
僕は水泳をやっていたから解るのですが、髪の長い女子と違い、男子選手があんまりにも早くキャップなりゴーグルなりをつけてしまうというのは、それはもうすでに緊張の現れなんですね。ですので帽子も被らずふてぶてしい表情でコールを受ける鈴木選手とポリャンスキー選手は、既にその時点で大物感に溢れておりました。一方のバーコフ選手はというと、彼は自分へのコールにも気もそぞろという感じで、ゴーグルのフィット具合を何度も何度も気にしていたのです。それはもう水泳界においては典型的なチキンハートの姿なのでありました。

そしてその影響はすぐに表れました。そうです。バーコフ選手はスタートで有り得ないくらい出遅れたのです。写真を見てもらえば一目瞭然なのですが、この時点で0.3秒は損をしていたと思います。そんなわけで「動揺作戦その1」は見事成功だったのです。
バサロのキック数を増やす
通常の鈴木選手のバサロ(潜水)泳法は「キック21回で25m潜水」というものでした。実際に午前の予選でもそうだったのですが、これを鈴木選手は「このままでは勝てない」と判断し、決勝では「キック27回で30m潜水」に伸ばすという決断をします。それで「バーコフ選手に半身差で付いて、さらに動揺させる」という作戦だったのですね。しかしながらそれには当然リスクがありました。それも二つあったのです。一つは当然のことながらスタミナの問題ですね。「ぶっつけ本番で潜水の距離を増やす」というのは、普通に考えてもあまりにも危険な賭けですが「金メダル以外眼中無し」という鈴木選手には何も迷いがなかったそうです。
そしてもう一つのリスクは「潜水距離を伸ばすことにより、得意の左手ターンができる保証がなくなった」という事でした。これはもう完全にフィフティフィフティの賭けですね。やってみないと解らないものでした。そして実際のレース・・・鈴木選手はバーコフ選手に半身差で食らいつき50mのターンを迎えました。ターンは左手。鈴木選手はこの時「ラッキー!」と思いながらターンしたそうです。さあ、いよいよラスト50です。
バーコフ選手のオーバーペース
50mのターン。トップのバーコフ選手は世界記録を出した予選のタイムよりも0.24秒遅れて折り返します。それに対して鈴木選手は逆転作戦の狙い通りに、バーコフ選手に半身差で食いついています。予選より遅いバーコフ選手のタイムは「余裕をもってハーフまで泳いだ」というようなものではありませんでした。出遅れが大きすぎたのでタイムには反映されませんでしたが、むしろ彼は「スタートで出遅れた」ことと「鈴木選手とポリャンスキー選手がバサロを伸ばしてきた」ことに動揺して、予選よりもかなりのオーバーペースになっていたのです。
メダル圏内
レースは進み75mライン。俯瞰視点映像(競泳中継でよくあるアングルです)で見る限り、バーコフと鈴木の半身差は、まだ縮まってはいません。『まだ大地2位!鈴木大地!現在第2位!』島村アナの実況も熱を帯びてきます。しかしながら島村アナもこの時点では「逆転金メダル」というより、「メダル圏内」という気持ちが強かったのだと思います。実際、僕もその時は同じ思いでしたからね。しかし、カメラが一瞬プールサイドからの映像に切り替わり、さらにそれが俯瞰視点映像に戻ったときに、レースの異変に気が付いたのです。「あれ!? 差が詰まってる!」という。
『残り20m!大地への声援が飛ぶ! リードしているのはバーコフ!あと15m・・・大地出てきた!大地追った!鈴木大地追ってきた!鈴木大地追ってきた!!』
イメージトレーニング
1988年。ソウル五輪に先立って行われたカルガリーでの冬季五輪(当時五輪は夏冬同一年開催だった)において、黒岩彰選手が日本勢唯一の銅メダルを獲得したのですが、その際に彼が取り入れていた「イメージトレーニング」というものが話題になりました。
<1 スポーツで、体を実際に動かすことをせず、頭の中で動作を考えて、その正しい運動動作を学習すること。2 ある事柄について、起こり得る場面、場合、対処方法などを、頭の中で考え、慣れておくこと>
当然、鈴木選手もイメトレを行っていたのですが、彼が特にイメージをしていたのは「混戦状態での残り20m」というものだったのです。彼曰く
「ラスト20mの展開は何度イメージしたか解らないくらい」「実際のレースでもこの場面が想定出来ていたので、残り20mの段階ではっきりと余力が残っていた」
タッチの差
水泳の場合、たとえリードしていても、最後のタッチが合わないと逆転を食らうケースがあります。それを僕の時代は「タッチが流れる」「タッチが詰まる」と言っていたのですが、実際にこの五輪でも、100mバタフライにおいて、絶対的な優勝候補のマット・ビオンディ選手のゴールタッチが流れてしまい、伏兵中の伏兵のアンソニー・ネスティ選手(アフロ系初の競泳メダリスト)に金メダルをさらわれるという事件がありました。
それで鈴木選手とバーコフ選手とポリャンスキー選手の中では、ポリャンスキー選手が抜群にゴールタッチが上手かったのですね。200mの金メダリストでもある彼は、後半追い込み型の選手であり、最後の最後に逆転で勝利をかっさらうのが常套手段でありました。ですのでこのレースをプールサイドで観ていた鈴木陽二コーチは「残り10mでバーコフに勝ったと確信した。だからそこからはポリャンスキーを観ていた」とのちに語っていたりします。
『鈴木大地追ってきた!!追ったか!?逆転か!?逆転か!!? さあタッチはどうだ!!?』
ラストストロークで遂に鈴木選手はバーコフ選手を捉えました。しかしながら、さらにその2人をポリャンスキー選手が捉えていたのです。その刹那、僕の頭の中には読んだばかりの「Number」のコラムがよぎりました
<鈴木は最後のストロークを低く鋭く突く練習をしている。本番の決勝では、指が折れるのもいとわず、手のひらを伸ばした状態でタッチパネルに手を突き立てるそうだ>
水しぶきをあげながら大混戦でゴールになだれ込む3人。しかしながら僕の目には、鈴木選手の右手が誰より早く、そして鋭くゴールを射抜く様が、本当にしっかりと見えたのです。
『鈴木大地!勝った!!鈴木大地金メダル!55秒05!55秒05!鈴木大地、金メダル!!』
祝福の輪
鈴木選手が激戦を制して1位になりました。僕もテレビの前で狂喜乱舞です。彼は電光掲示板を良く見るためにプールの中央の方へ少し泳いでいきます。そこで彼は初めて自分が金メダルだという事を知り、コースロープにもたれ両手を挙げました。
ポリャンスキー選手以外のライバルたちが集まってきて、プールの中で鈴木選手を祝福する輪ができました。闘い終わってノーサイド。僕はそれを見てとても幸せな気持ちになりました。
KY記者を黙らす
その後、バックステージでドーピングの手続きをしている鈴木選手のところに、予選終了時に失礼な態度をとっていた記者が、まさに手のひらがえしでコメントを取りに来ました。背中を向けたまま適当に答える彼に対し、しつこく食い下がる記者。「どんなお気持ちですか?」。すると彼はくるりと向き直り「嬉しいに決まってます」と、ぴしゃりと一言。うるさいKY記者を黙らせた鈴木選手はカッコ良すぎでした。
善人バーコフ
そして表彰式。未だ緊張が抜けてない風の鈴木選手に対して、2位のバーコフ選手はにこにこしています。それは強がりではなく本当に心から鈴木選手を祝福しているようでした。僕は「バーコフは実際良い奴なんだろうな。だから負けたんだろうなあ」と感じました。
まあ今ならバーコフ選手の「人としての強さ」が逆によく解るのですが、当時の僕では…でしたね。現在バーコフ選手は夢を叶えて弁護士になっているそうですが、きっと人権派の良い弁護士になっていることでしょうね。ちなみにポリャンスキー選手(現在はニュージーランドで水泳のコーチ)はというと、終始不貞腐れている様子で、与えられた銅メダルも表彰台から降りるとすぐに外してしまいました。
真の世界一
この金メダルはソウル五輪開幕から8日目にして日本勢初の金メダルでした。国旗掲揚では日の丸が星条旗とソビエト国旗を従えております。これが実に痛快というか、ボイコット合戦だったモスクワ五輪とロサンゼルス五輪に対して、ソウル五輪は真の世界一決定戦でしたからね。だからこそ、この表彰式の光景は、その時代そのものの決着のような感じがして、本当に嬉しいものだったのです。
抜け殻の大地
鈴木選手は表彰式後の共同記者会見でも緊張感あふれる顔つきをしておりましたが、その後のTV局行脚ではすっかり毒っ気が抜けたというか、あの「嬉しいに決まってます」と言った彼とは同一人物と思えないほど、ほわ~んとした表情になっておりました。
受け答えも同様で、なんだか心ここにあらず感が凄かったのです。「そりゃあれだけの勝負をしたのだから腑抜けになっても無理もないよな」と僕は思ったのですが・・・結局この後、現役引退まで、鈴木選手がまた「おらおらモード」になる事は無かったのです。
バカップル
週明けの月曜日。僕は通学がてら一日遅れの東スポ (福島で東スポは一日遅れの朝刊紙だった) をセブンイレブンで買い込み、駐輪場代わりの路地で熟読しておりました。そこでは、いつものバカップル (リーゼントにあんぽんたん顔のブルゾン社会人男&モデル並みの美少女JK) がいちゃついております。
女の方が僕の東スポを見て
「わたし鈴木大地ってすき〜」
「俺は嫌いだよ 生意気だもん」
「えー、だってかわいいんだよ ないしょとかさ」
「ふん、だせえよ」
僕はその光景を見て『ダサいのは間違いなくお前だよあんぽんたん』と思うのと同時に『何で君はこんなブルゾン男と付き合っているんだ』と思いました(まあこれは毎日思っていたのですが)。
一番思い出深い五輪名場面
僕にとって、この鈴木大地選手の金メダルシーンは「ロスの山下」や「長野の原田劇場」や「アテネの栄光の架橋」などを遥かに超えた「一番思い出深い五輪名場面」になっています。
♪My tears 今 この一瞬に
すべてをかけてゆけるのなら
My tears 涙もかれるほど
命の限りに生きてきた
永遠の夢 心に満ちていく日まで♪
あの日の鈴木大地選手の一世一代の大勝負は、当時受験生だった僕に大きすぎる勇気を与えてくれました。そしてその後の僕の人生においても、事あるごとに「挑戦することの大切さ」や「気持ちを強く持つことの大切さ」を教えてくれているのです。
SPORTSの噺
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