サッカーW杯1990イタリア大会【史上最低と呼ばれた退屈なワールドカップ】1990 スキップしてメイン コンテンツに移動

サッカーW杯1990イタリア大会【史上最低と呼ばれた退屈なワールドカップ】1990

日本のバブル期に行われた『サッカーワールドカップ1990イタリア大会』は、「史上最低のワールドカップ」と世界中から酷評された大会でした。では何故そうなってしまったのか?今日はそんな噺です。


話題にならないW杯

サッカーW杯イタリア大会が行われた1990年。僕は当時、歌舞伎町のライブハウスで働いておりました。それでちょうど深夜の始発待ちの時間に、ワールドカップの生放送とデイリーハイライトをやっておりましたので、僕も熱心に見ておりました。そして今ならば、サッカーのワールドカップが行われているなんて時期には、日本中が「ワールドカップだ!」「サチモスだ!」などとハートビーに盛り上がるものですが、Jリーグ発足前だった当時は、あまりワールドカップ熱が盛り上がっておりませんでした。


記憶に全く残らぬ日本代表

この大会。日本代表は予選落ちで出場できませんでした。まあそれは仕方のない事ですが、自分でも驚くのは、この時の代表の試合というものを、本当に何一つ、全く覚えていないということなのです。

その前の「1986年メキシコ大会」の予選は「木村和司の伝説のフリーキック」の時で、W杯初出場を目指し、韓国に最後まで食い下がった試合を僕もはっきりと覚えています。



それで「1994年アメリカ大会」となると、これはもう例の「ドーハの悲劇」の時ですからね。これはもう忘れようにも忘れようがありませんよね。


しかしその間のイタリア大会の予選…結果を見てみると、格下の香港やインドネシアと引き分けを繰り返し、最後は平壌で北朝鮮に負けて一次予選落ちだったみたいですね。そこには井原選手や松永選手や水沼選手や黒崎選手といった「Jリーグ黎明期の選手」がメンバーに名を連ねています…が、うーん、マジで記憶なしです。予選が行われていた1989年は僕は予備校生時代でしたから、こんな典型的な負け戦に乗れなかったのかもしれないですね。

南米はドロドロ

記憶に残らぬ日本の予選と違って、南米の予選のドロドロぶりは実に印象深いものでした。

チリがインチキ行為で2大会資格停止



まず大騒ぎになったのが後に「ロハス事件」と呼ばれるチリのインチキ出血事件ですね。これはワールドカップ予選の「ブラジル対チリ」において、劣勢だったチリが「ブラジルサポーターの投げた発煙筒が当たり、キーパーのロハス選手が負傷出血する羽目になった」と抗議しました。そこで試合がいったん打ち切りになったのですが、実はこれはロハス選手
が『事前に用意していた剃刀による自傷行為だった』ことが判明し、ブラジルの勝利確定→チリの失格となり、ロハス選手は永久追放。そしてチリはイタリア大会だけではなく、その次のアメリカ大会への参加資格も失ったのです。

メキシコが年齢詐称で失格

1988年、ワールドユースの北中米カリブ海予選に出場したメキシコ・ユース代表(U20)の4人が、実は20歳以上だったことが明るみになりました。そのためメキシコは全ての世代で2年間の出場停止処分となり、メキシコ代表はワールドカップのイタリア大会に参加できなかったのです。そもそもイタリア大会の前がメキシコ大会であり、メキシコはそこでベスト8まで進出してましたから、そんなメキシコがワールドカップから事実上締め出されたわけですから、これは大騒ぎになりましたね。

そんなわけで、参加チームは少ないがレベルが高いワールドカップ中南米カリブ予選ですが、その参加チームが、こういう事情で減ってしまったため(さらには超強豪アルゼンチンも前回大会優勝で予選免除でした)、何とも微妙な空気ものになってしまったのです。

史上最もつまらないW杯



さてさて本大会です。イタリア大会はサッカーの本場の大会でありながら、結果的に「退屈なW杯」として不名誉な名前を残る大会になってしまいました。一番の原因はバックパスですね。これは当時のサッカー界全体が「守備的な傾向」に向かっていたことに加え、当時はバックパスが反則ではありませんでしたから、1点でもリードしたチームは延々とパス回しをするわけです。さらには格上と当たったチームは最初からパス回しでバックパス。強いチームは消化試合は別に引き分けでもいいのでパス回しでバックパス・・・というように、大会はロースコアの引き分けマッチが続出したのです。

この時の反省でその後、オフェンシブになるように様々なルール改正(バックパス禁止、勝ち点の変更など)がなされるようになりますが…要は、そうなってしまうほどひどい試合内容だったということですね。

南米の潰しあい



予選が散々だった南米勢ですが、本戦でも出だしは低調で、前回優勝国のアルゼンチンが、開幕戦で伏兵カメルーン敗北するという衝撃的な幕開けを迎えます。アルゼンチンの不調はその後も続き、結局3位救済のギリギリのところで一次リーグを突破するのでした。

ブラジル敗北

アルゼンチンが首位通過できなかった弊害は決勝トーナメント一回戦にくっきりと表れます。それは一回戦でいきなり「アルゼンチン対ブラジル」という南米最強対決が実現してしまったのです。南米勢同士の潰しあい・・・本場ヨーロッパに弓引くという意味では、これは全くありがたい展開ではありませんでした。
実際の試合は、マラドーナ選手の調子の悪いアルゼンチンが、ブラジルに対しあからさまなロースコア試合を仕掛けていきました。そしてグダグダの展開の後に、結果的には【マラドーナ→カニージャ】のワンプレーでアルゼンチンが勝利してしまうのです。


この大会のアルゼンチンチームが大したことがないというのは、ここまでの試合でバレバレでしたから、そのアルゼンチンチームが、ヨーロッパでも人気のブラジルチームに勝ってしまうというのは、ここではあまり望まれていない展開だったのです。本当につくづくアルゼンチンは、この大会を退屈な大会にしたA級戦犯チームでしたね。そんなわけでその後、基本ブラジルびいきの僕も、仕方なくイングランドの応援をすることにしましたのです。

フーリガンやばすぎ

そのイングランドですが、1985年の「ヘイゼルの悲劇」に代表されるように、当時のフーリガンは本当にまともじゃなく、「イングランドの試合があるたびに死人が出る」と言っても大げさではないほどの国際問題レヴェルだったのです。危険すぎてクラブチームレベルでは、イングランドチームの国際試合は行われていない状況でした。


そんな状況でのワールドカップ。そこで開催地のイタリアがフーリガン対策として考えた作戦が「イングランドの試合を地中海の孤島で行う」というものでした。まるで「ロベン監獄島」ですね。


 
そのとばっちりを食ったスペイン(シードをイングランドに取られてしまった)が運営側を痛烈に批判したりしましたが、これに関しては「まあしょうがないね」というのが皆の共通認識でしたね。当時のフーリガンはそれくらい危ない集団でした。

ガスコイン&リネカー


にわかイングランドファンになった僕は、すぐに「ガスコイン&リネカー」という2選手に魅了されました。ガスコイン選手は典型的な悪童タイプ(その後ルーニーが継承したイメージ)のゲームメイカーで、一方のリネカー選手は『生涯イエローカードなし』という英国紳士タイプのストライカーでした。まさにマンガのように正反対の選手で、それゆえになかなか魅力的なチームだったのです。


決勝トーナメントの一回戦のベルギー戦はロースコアのまま延長にもつれ込み、終了間際のラストプレー。ガスコイン選手のフリーキックからプラット選手のボレーシュートという、ワールドカップ史上に残る名ゴールが生まれ、イングランドが辛くも勝ち切ります。


次の準々決勝のカメルーン戦。今大会の台風の目だったチームに対して、リネカー選手の頑張りで3対2で振り切り、イングランドは準決勝にコマを進めました。

 
結局彼等は準決勝でドイツにPK戦で負けるのですが、その時のガスコイン選手の涙は本当に胸に迫るものがありました。さらにはリネカー選手のおかげでイングランドは、あんなにヤバすぎるフーリガンを抱えながらも、なんとフェアプレー賞も受賞したのです。そしてこのころをピークに、問題のフーリガンも大分おとなしくなったような気がします。もちろんこれは良いことですけどね。



僕はワールドカップの後も、彼等の所属チームのトットナムホットスパーの動向を気にしたり、ビデオを借りてみたりしておりました。ですので、そのリネカー選手がその後、Jリーグ発足時にグランパスに加入した際は、かなり期待したものだったのですが・・・

決勝

そんなわけで決勝は「西ドイツ対アルゼンチン」という超因縁カードになりました。前回アルゼンチンが優勝した決勝対決から4年です。西ドイツにしてみれば捲土重来!…ですが、もともとつまらないマテウス時代のドイツサッカーでありますし、一方のアルゼンチンの方は、マラドーナ選手(不調)以外の主力が見事なまでに出場停止というひどい状態でした。そんなわけで試合はまさにドロドロのロースコア試合の極みという様相を呈すこととなり、もはや言うまでもないでしょうが、アルゼンチンは完全にPK戦狙いで試合を進めていきました。


僕はこれを深夜の歌舞伎町で、バイト仲間(無名時代の沢村一樹さんもその場にいました)とみんなで視ていたのですが、今思い出しても本当につまらない試合でしたね。結局、怪しい判定でPKを得たドイツが優勝し、アナウンサーは「秋のドイツ統一を祝福する優勝」などと言って一人で盛り上がっていました。しかしながら、こちらはまったくもって白けっぱなしでした。今となってはドイツ人以外は誰も振り返りたくないワールドカップでしょう。間違いありません。


まあ、そんなことを言いつつ、僕は今日も長々と振り返っているわけですが。はい。


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