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サンプラザ中野のオールナイトニッポン「大きな玉ねぎの下で」1985-1987

サンプラザ中野のオールナイトニッポンは、1985年から1987年まで、3年近く続いた人気ラジオ番組で、そこで行われた様々な企画は、のちのエンタメの世界に大きな影響を与えました。今日はそんな番組の懐かしのコーナーと、そこから生まれた名曲についての噺です。


爆風スランプ登場

爆風スランプが世に出てきたのは1984年の末の事でした。シングル「うわさに、なりたい」がシチズンのCMソングとなり、そのキャッチーな楽曲が大いに注目を浴びたのです。
僕が動く爆風スランプを初めて視たのは、1985年の1月に放送されたNHK教育(現Eテレ)の若者向け番組「YOU」でのスタジオライブにおいてでした。そのキレキレのパフォーマンスは今思い出してもかなり衝撃的なもので、スタジオでその様子を観ていた女性パネラーから

「あなたたちはもうテレビにも出て、もう充分噂になられたのですから、そんなに騒がしくなされなくてもいいのではないですか?

とマジレスされたほどでした。それに対してTV慣れしていないメンバーが思わず素になってしまった場面なんかも実に面白く、とても深く心に残っています。

高学歴コミックバンド

そのうちバンドメンバーが早稲田大学の政経学部に在学中だということが明かされ「ただのコミックバンドじゃないんだ」と彼らは一目置かれるようになります。当時は今よりもずっと大学や大学生がカルチャーに対して影響力を持っていました。ですのでミュージシャンも高学歴であることが結構なステイタスになっていたのです。まあなんか変な話ですけどね。

「無理だ!」で知名度が全国区に


「うわさに、なりたい」に続いてリリースされたのは「無理だ!」でした。
売れ線狙いの前曲とは異なり、完全にコミックソングに舵を切って制作されたこの曲は、その狙い通りに子供たちに大うけし、彼らの知名度は全国になりました。あのザ・ベストテンにも「今週のスポットライト」枠で登場し、その鬼気迫るパフォーマンスは賛否両論大評判となったのです。

サンプラザ中野のオールナイトニッポン

しばらくするとサンプラザ中野さんのポピュラリティーが評価され、1985年の春からオールナイトニッポン金曜1部のパーソナリティーに抜擢されます。もともとこの枠はプロレスファンである山口良一さんの受け持っていた時間帯でしたので、それに成り代わりコミックバンドのボーカルが担当すると言うのは、僕もプロレスファンとして少々思うところがありました。
しかし番組を聞いていくうちに、中野さんの温かい人柄や、優しさの影のアナーキズムと言うものに次第に心惹かれるようになりました。番組も面白い企画を次々と実行し、リスナーの心をどんどんつかんでいきました。

主な企画

幻の商売繁盛 えーらいこっちゃ

寂れた店などにリスナーとともに押しかけ、一日だけ商売繁盛させるといいう企画です。中野さんとパッパラー河合さんのユニット「ザ・花びら」の客寄せライブも面白かったですね。そういえばそのライブで「尾崎を歌う」と言って、当時人気絶頂だった尾崎豊の歌を歌うと思いきや、尾崎紀世彦の「また会う日まで」を歌ったりして、集まった若いユーザーをズッコケさせたりしていました。

早稲ダービー

爆風スランプが在籍していた早稲田の政経学部を受験するリスナー集めて、誰が合格するか競馬仕立てで予想するコーナーです。当初はギャグで始まったものでしたが、受験そのものはガチンコだったことと、リスナーに受験生が多かったことが相合わさって、次第に共感の輪も広がりはじめ、試験日の様子を伝える放送では、オフコースの「言葉にできない」がBGMになるなど、思いもかけない感動的なコーナーへと成長していきました。

僕が思い出に残る出走馬は「スベラーズラサール」ですね。電話越しの受け答えからも頭の良さがにじみ出ている人で、やはり見事に合格を果たしました。実はこの企画で実際に早稲田に合格した人は少なかったので、彼なんかは特に貴重な存在だったのです…が、しかし、このスベラーズラサールはつくづく頭が良く、その後、第一志望の東大にも合格したのです。当然そちらに行ってしまい、中野さんの後輩にはなりませんでした。

上野のパンダの名前をズイズイにしよう

1986年に上野動物園で生まれたパンダの赤ちゃんの名前が公募されたことに目をつけ、中野さんが当時好んで使っていた「ズイズイ」と言う言葉をパンダの名前にしようとした企画ですね。選考委員に選ばれたイルカさんをゲストで招いて接待したりと、涙ぐましい努力をしたおかげか、「ズイズイ」は公募の投票で第2位となったのです。しかしながら選考会の場で「特定の番組が企画した組織票」ということが指摘され「ズイズイ」却下となり、パンダの名前は公募第1位の「トントン」に決まったのでした。


中野さんは「イルカめ~」と怒っておりましたが、僕も選考会でチクったのは間違いなくイルカさんだと思います(笑)。

私の恥ずかしい音頭送ります

全国津々浦々に広がる変な音頭を募集した企画で、「温度音頭」「ぼけない音頭」「交通安全でろれん音頭」「リカちゃん音頭」など様々なものが紹介されました。



↑「温度音頭」というタイトルが凄いですね。一体全体、何の目的でできた音頭なのか?僕にはダジャレ以外の制作コンセプトが全く思い浮かびませんね。あとは意外と思い出深いのが「リカちゃん音頭」です。これは子供向けの音頭でありながら、歌詞に「放送禁止用語」が含まれていたのです。まさかのまさかの放送禁止曲。そんなわけでオンエア時には「ピー音」がかぶせられていて、それはなかなか異常なものでした。はい。
その後、この動きが発展して、番組オリジナルの「ちゃんちゃらおかP音頭」がリリースされました。

スクールトゥモロー 学校で生き抜くために

80年代はバリバリの管理教育時代で、その弊害ともいえる陰湿ないじめが学校の中で問題となっていました。それに正面から取り組んだコーナーです。そして番組の中で唯一ともいえるまじめなコーナーであり、中野さんも真摯にリスナーの声に耳を傾けていました。とはいえ、中野さんはその際に「断定的な物言い」や、「はっきりとしたアドバイス」はしていなかったのですね。そんな中野さんの姿勢に対し、中野さんは父親から「もっとはっきりしゃべった方がいい」と苦言を受けたそうですが、なかなかそんなに簡単に割り切れる問題ではなかったようでした。

MAYのかけ間違い

斉藤由貴さんのシングル「MAY」をオンエアするはずが、作詞担当の谷山浩子さんバージョンの「MAY」を誤ってオンエアしてしまうという事件がありました。中野さんは当然「MAYわくかけてすみません」と謝っておりました。

ブルーハーツ

ブルーハーツの曲が初めて公共の電波で流されたのはこの番組だったと思います。「名前も曲名もわからない謎のバンド」として「人にやさしく」が流され、それを中野さんが絶賛しておりました。そしてその放送中にリスナーから「ブルーハーツ」というバンド名と、「人にやさしく」という曲名の情報が提供されたのです。
今となっては「・・・ステマ?」という気がしないでもないですが、まあ何はともあれ、その後のブルーハーツブームはここから始まったと断言できると思います。


大きな玉ねぎの下で

爆風スランプの初の武道館ライブのアンコール曲ですね。オールナイトニッポンが始まった1985年。 彼らはその年末に日本武道館で初のライブをすることが決まっておりました。当時の武道館ライブの敷居はかなり高く、彼らがそこでライブするのは無謀を通り越して、もはやシャレという感じでした。そんなわけで「どうせガラガラだから好きなように盛り上げよう」と、様々な企画も行われたのです。



秋にはアルバム「しあわせ」が発表となりました。その中に『武道館がガラガラだった時の言い訳ソング』として作られた「大きな玉ねぎの下で」が収録されていたのです。
当時のレコード会社の担当者の「爆数スランプを大ブレイクさせる」という意志はかなり強いものがあり、この曲に関してもワンフレーズごと厳しいチェックを受け、最後まで埋まらなかった一行(君のための席が冷たい)が出来たのは、レコーディング当日の朝の事だったそうです。

ちなみに作詞の中野さん曰く


「『実際のエピソードなんですか?』と何度も聞かれ『作り物です』と答えると、そのたびにがっかりされる曲」

とのことです。


それでオールナイトでこの曲が初めてオンエアされた際、件の武道館に合気道の錬成大会で行った事のある僕は「玉ねぎ=武道館の上についている変なもの」と直ぐに気が付きました。そして

「これが武道館ライブで流れたら相当感動的だろうな」
「もしかしたら満員になるかもしれないな」

と思ったものでした。

(そういや1989年に「遥かな思い」と副題が付いてリアレンジされたこの曲のシングルバージョンは全く良くなかったですね。ほとんど変わっていないのに、そのわずかに変えたところが全然ダメだったという…)


 

結果的に武道館は超満員になっての…このシーンですね。これは中野さんが曲名を言いかけて「気を付けて帰ってください」というあたりがとても良いですよね。うん。

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ピアノ担当として紹介された「江川ほーじん」さんは、現在交通事故により長期治療中との事です。早く良くなって欲しいものです。


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