星野仙一&落合博満【星野と落合の本当の関係】鉄拳制裁と俺流 1987-2018 スキップしてメイン コンテンツに移動

星野仙一&落合博満【星野と落合の本当の関係】鉄拳制裁と俺流 1987-2018

プロ野球に於ける 「熱血」と「オレ流」。同じ球界(球団)に属していながら、思想的に全く相入れない存在だったのが故星野仙一さんと落合博満さんです。そんな2人の関係は実際にどうだったのか?共闘と対立と融和…今日はそんな噺です。


大型トレードで落合が星野中日に入団

 プロ野球の1986年のシーズンで、ロッテの落合選手は2年連続、通算3度目の3冠王を獲得します。これはプロ野球史上に残る大記録であり、落合選手が現役最強選手であることを、より大きく裏付けるものとなりました。

その一方、その年のシーズンオフに、ロッテの稲尾監督が「契約満了」を理由に解任されることになりました。稲尾氏を師匠として慕っていた落合選手は、いわば「騙し討ち的」に監督解任の決定をしたロッテに猛反発します。そして他球団へのトレード移籍を公言するようになっていったのでした。

その中で「前年のシーズンオフに巨人からロッテへ落合獲得のオファーがあった」ことが明かされていきます。その流れから、当時は「落合選手の巨人入団」が既成事実のように語られていたのです。

しかしそれに対して、秘密裏に動いている球団がありました。それは中日ドラゴンズです。1987年のシーズンから、球団大物OBの星野仙一氏を監督に迎えることになっていた中日は、ベテランの谷沢選手に引退を勧告するなど、チームの改革に大ナタを振るっているところでした。そしてその谷沢選手に代わる、新たな中日の4番として白羽の矢が立ったのが「球界最強打者」の落合選手だったのです。


最終的に中日は巨人を出し抜く形でトレードを成立させます。それも落合選手1人に対して、大物投手である牛島選手を含む、計4人の選手が放出されるという異例の大型トレードでした。

今にして思えば、これは「中日が落合選手を必要としている」というよりも、「大嫌いな巨人に落合が入団するのだけは阻止したかった」という、星野監督の意向を反映したトレードだったのだろうと思います。

入団会見に星野監督と共に臨んだ落合選手は

「男が男に惚れたという事。星野監督を男にするためにここに来ました」

と力強く宣言しました。


星野ドラゴンズ初優勝

 星野ドラゴンズの初年度である1987年。中日は落合選手を中心に、セントラルリーグにおいて2位というそこそこの成績を収めました。しかし、皮肉なことに、その年に優勝したのは星野監督の怨敵巨人であったのです。中日は2位とはいえ、優勝した巨人に8ゲームもの大差を付けられる完敗となり、星野監督と落合選手は、共に「期待外れ」と厳しい声を浴びることになりました。

翌1988年。序盤は低調だった中日ですが、落合選手の調子が上向くと同時に快進撃がはじまります。夏にはサヨナラ勝ちを連発し他チームを突き放し、最終的に6年ぶりの優勝を果たしました。星野中日の初優勝です

プロ野球の優勝には色々な形のものがありますが、中日ファンの僕にとって、この年の優勝は格別なものがありました。30年以上の時を経た今にしても思いは変わらず「特別に印象深い優勝」として深く心に残っているのです。はい。


落合博満 落合節炸裂 1988優勝インタビュー


埋まらない溝

しかしながら… 熱血監督である星野監督と、球界No1選手の落合選手の間には、優勝を果たしてもなお微妙な溝がありました。そもそも体育会系の権化みたいな星野監督と、究極の体育会系嫌いの落合選手のウマが合う筈もありません。それは優勝という結果を経ても変わることはありませんでした。 

「他の選手が殴られないように、あえて監督の隣に座っていた」という落合選手の言葉はその通りだったのでしょうし、一方の星野監督も、落合選手のそんなとぼけた態度に苛立っていたは間違いない事だったでしょう。


星野仙一、 落合博満が嫌いだ


バラエティ番組でウソ発見をかけられた星野監督は 
「落合が嫌い?これハイと答えたらダメなのか?」 と、冗談まじりで答えています。


そして翌1989年には「落合舌禍事件」が起こります。これは

「現役の頃に練習してなかったやつに限って、監督になるとやれと言い出すものだ。自主トレなんだから俺は俺のペースでやる」

と、暗に落合選手が星野監督を批判した騒動です。

最終的に落合選手が謝罪して騒動は終結しましたが、両者の確執がピークに達したことは言うまでもなく、残念ながら影響はチームにも表れていきました。結局、1991年に星野監督が退陣するまで「第一次星野中日」が再び優勝する事はありませんでした。

星野監督が阪神に移籍し代理戦争勃発

その後、時は過ぎ新世紀2001年。星野さんは中日から阪神に移籍します。中日の象徴の阪神入りは衝撃でしたが、結果的に監督として阪神を優勝に導きました。その後、星野さんは自身の監督退任後も、阪神のSDとして院政を敷くことになります。

一方の落合選手は日ハムで現役引退後、中日の監督になり「名将」として中日の黄金時代を築きますそしてその落合中日の好敵手とはいうと、それは星野さんがSDを務める岡田阪神だったのですね。中日対阪神という形で両者の代理戦争がはじまります。 


落合博満 涙の優勝監督インタビュー.

星野意地の監督復帰へ

2007年に星野さんは野球の日本代表監督を務めますが、優勝が至上命題だった北京五輪で大惨敗。その後WBCの監督候補になるも「世論の猛反対」という屈辱を受けます。結局、正式なオファーの前に固辞を表明。メンツは丸つぶれで、同時期に名将としての地位を固めつつあった落合監督と明暗が分かれます。

ですのでそんな星野さんが、結構無理やり楽天の監督に就任すると決まった際には

「けちょんけちょんになったプライドを、何とか今一度取り戻したいんだろうな」

と思ったものでした。  


ドラフト会議での再会 

星野監督の楽天の初めての仕事はドラフト会議でした。因縁浅からぬ落合監督と岡田監督(阪神院政時代に色々あった)とその場で対面することになります。

いよいよドラフト当日。円卓でオーバーに はしゃいでみせる星野監督の姿は、正直、痛々しかったです。岡田監督はそんな星野監督を無視しました。

では一方の落合監督はというと・・・落合監督は入場するなり楽天のテーブルに歩み寄り、星野監督に頭を下げてあいさつしたのです。

その時の星野監督の嬉しそうな顔って言ったらなかったですね。落合みたいなやつが頭を下げてあいさつしてくれるなんて、男として最高の事だと思います。僕はその光景を見て

「星野監督を男にするためにここに来ました」

という中日移籍時の落合選手の言葉を思い出し、本当に胸が熱くなりました。

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他の人間には成し得ない日本一

落合監督と星野監督は、それぞれ一度ずつ日本一に輝いています。そしてそれは、彼ら以外では有り得ないであろう実に劇的な日本一だったのです。

「継投による完全試合」で日本一になった落合。


2007日本シリーズ 中日対北海道日本ハム 第5戦 9回表~優勝

8回終了まで完全試合を続けてきた山井大介投手を降板させ、完全無欠のクローザーである岩瀬仁紀投手に継投した落合采配です。史上初の継投による完全試合となりました。

「田中将大の連投」で日本一になった星野 


2013日本シリーズ第7戦楽天優勝 田中登板~胴上げ

前日に先発完投した田中将大投手をクローザーとして登板させた星野采配。楽天は球団史上初の日本一を達成し、田中投手はそれを置き土産に翌年からメジャーリーグに転出しました。

ともに賛否両論が渦巻いた試合でしたが、これらは間違いなく後世まで語り継がれる日本一です。そしてまた、これらはともに彼等でなければ有り得なかった采配であり、そして有り得なかった日本一の光景だったと思っています。


「落合はふざけてるのか!」

「落合?あんな優しい人間はいないよ」

双方、同じ日の星野さんの言葉です。

うん。

闘将よ、安らかに。


10.19【 ロッテ対近鉄 Wヘッダー in 川崎球場】1988


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