パラッパラッパー【次世代ゲーム機戦争に登場した】「革命的音楽ソフト」1996 スキップしてメイン コンテンツに移動

パラッパラッパー【次世代ゲーム機戦争に登場した】「革命的音楽ソフト」1996

1990年代に起こった「SONY プレイステーション」vs「SEGA サターン」vs「ニンテンドー64」という「次時代ゲーム機戦争」は、ゲームそのものの発展に寄与する、実に熱い闘いでありました。そんな中で、ソニーが1996年末に発売した音楽系のソフトは、これまでに誰も目にしたことのない、全く新しいジャンルのゲームだったのです。今日はそんな噺です。


パラッパラッパーとの出会い

僕がこのゲームと出会ったのは、発売日前にゲームショップで流されていたデモムービーでした。その時は「タマネギ先生」のステージのヘビロテだったのですが、僕はそれを見た瞬間に「このゲームは絶対に売れる」と確信しました。訳が解らないながらも、そのコミカルさとスタイリッシュさからは、今までの次世代ゲームにはあまりなかった「一般ウケ」の予感が強くしたのです。それはその時一緒にいた当時の彼女(普段全くゲームはやらず、呆れて横で見ている系)の好意的な反応からも強くそう感じたのです。

松浦雅也氏とは?

慌ててプレイステーションの雑誌をチェックすると、そこに件のゲームのメインプロデューサーとして、松浦雅也さんの名前を見つけました。松浦さんは僕が高校生の頃に「PSY・S」というバンドで音楽活動をしており、CBSソニーに所属していました。「PSY・S」はニューウェイブバンドとしてニッチな人気を得ながら、1987年にはOVA作品の「To-y」の音楽を手掛けるなどして、その革新的な音作りは様々な方面から大きく評価されていたのです。

実際、このパラッパラッパーのデモムービーで流れていた音楽も、ラップとゲームミュージックを融合させたような全く新しい感覚のものでありまして、音だけでも、そのゲームの世界観というものに心が引き込まれる思いがするものだったのです。
 
実は松浦さんは既存の音楽ゲームのつまらなさから、自分自身が「つまらなさを除外した音楽ゲームを作ろう」と思い立ったそうです。そして制作法も「CDという音楽メディアの特性からゲーム作りの着想を得ていく」という、ミュージシャンならではの発想で行っていきました。当初はSGAに「これはゲームとした成り立つかどうかどうかわからない」とボツにされたそうですが、結果的に松浦さんが「パラッパラッパー」で生み出したアイディアは、その後の「音楽系ゲームソフト」の礎となる、非常に大きなものとなったのです。

平べったいキャラクター


ゲームビジュアルを担当したのは、当時売れっ子のポップアーティストだったロドニーグリーンブラッド氏でした。もともと彼はフジテレビ系教育(?)番組「ウゴウゴルーガ」のアニメーションなどで見慣れていた作家でありまして、そんな彼がこのゲームに採用されたことは何の不思議もなかったのですが…僕が驚いたのは「登場キャラクターが紙のように平べったかった事」でした。

ロドニー氏が言うには、これは松岡さんのアイディアだったそうですが…当時は「次世代ゲーム機戦争」ですからね。その世界においては、いかに3Dであるかが重要な頃であり、こと立体的であることが有難がられている時代でした。そんな時代に、あえてああいう「薄キャラ」で勝負するセンスというのは、なんだかもう凄いことだなあと感じましたね。

パーティーゲームとして

パラッパラッパーは1996年の12月に発売されました。僕も早速購入しようと思ったのですが、日頃愛用しているゲームショップでは買えなかったのです。そう、すでに売り切れていたのですね。その時点で「やっぱりこのゲームは来てるな」と僕が改めて思ったことは言うまでもありません。

そしてこのゲームが受け入れられたのは、年末のクリスマス商戦だったと言うのもポイントでした。実はこの時期に本当はファイナルファンタジー7が発売される予定だったのですが、それが直前で一か月ほど発売日が伸びたのですね。そこでリアルタイムな感想として、いわゆる「FF待ち」の人が、この「パラッパラッパー」を面白半分に購入したというケースも、何気に多かったように感じました・・・って、たぶん僕もそうなんでしょうね。



「パラッパラッパー」はパーティゲームにピッタリのゲームでした。それまでのパーティーゲームというと、それはもう任天堂の独壇場だったのですが、しかしながら任天堂がこの年、満を持して出した「NINTENDO64」は、この年末商戦において、「サードパーティーによるゲーム開発の難しさ」による「ソフト不足」でハードの売れ行きが伸び悩んでいたのです。コピーを恐れ、光学ディスクを採用しなかったことも裏目となり、早めの大幅値下げ策も功を奏しませんでした。
そしてそんな任天堂をしり目に、プレイステーション陣営は、任天堂のお株を奪うかの如く、ライトユーザー向けのゲームを多数送り込んだのです(「パラッパラッパー」「クラッシュ・バンディクー」「IQ」など)。これはゲーム機の勢力争いにおいて、とても大きな事となったのでした。

スタイリッシュなゲーム


一見お子様向けの「パラッパラッパー」でしたが、そこに表現されるロドニー氏の魅力的なキャラクターと、さらにはシナリオ担当の伊藤ガビン氏が繰り出す「アメリカB級青春映画」的なストーリーは、正にポップアートと言うべき世界観を持っていました。そしてそれはゲームというジャンルの持つ「マニアックさ」とはかけ離れたものであり、多くの新規ゲームファンを生み出していったのです。

150万本の大ヒット作

このゲームは全国的に品薄になるほどの人気を呼び、最終的には発売元のソニーも予想もしていなかった「150万本」という、驚異的な売り上げを達成したのです。その後、パラッパラッパーシリーズとして、ハード跨ぎの続編も作られ、さらには世紀を跨いだ2001年にはフジテレビ系列でテレビアニメ化も果たされることとなりました。関連グッズも多数発売され、各々が人気商品となりました。


先行逃げ切りで任天堂を破る

実は当時のゲーム業界は、この「次世代ゲーム機戦争」というものに、どこか冷めた姿勢で関わっている雰囲気もあったのです。それは「いくらプレステだサターンだと言っても、結局は任天堂が64ビットゲーム機を投入したら、それが全てさらっていってしまうよ」という考えがゲーム業界の根底にあったのですね。実際、僕の周囲の人間も大勢がそういう意見でした。

しかしゲーム業界以外のアナリストなどは、「経済的には任天堂やSEGAという子どもの喧嘩に、SONYという大人が割り込んでいった。これによりゲーム業界も大きく変わっていくだろう」という見方をしていたのです。僕はそんなものかなあと思いましたが、それはその後、すぐに現実のこととなりました。結果「NINTENDO64」は、プレイステーションはおろかSEGAサターンにも後れを取り、大きなムーブメントを起こせないままに販売終了となってしまったのです。

(しかし64の最後のソフトが「どうぶつの森」のファーストであったりしますから、やはり任天堂というメーカーは侮れないわけですが)。

LOVE TOGETHER

今、あの頃の「次世代ゲーム機戦争」というものを「プレイステーションが勝利したのはFFを獲得したからだ」とまとめるのは本当に簡単な事なのですが、実はもっともっと多くのドラマがあの時期のゲーム業界に起こっていたことを、どうか頭の片隅にでも置いてあげて欲しいなと願ったりもします。
少し前にお話ししましたが、この年はSEGAもナイツで頑張っていましたからね。さらには飯野賢治氏など、多くのカリスマゲームクリエイターも、時代の寵児的な活躍を見せておりました。
僕はこの時期のゲーム業界全体の「新しく面白いものを作ろう」という情熱が、このゲームというマーケットを、今あるような巨大なもの育てる事ができた「礎」になっていると信じているのです。


そんな関係者の方々に敬意をこめて、僕が大好きな曲である「LOVE TOGETHER(アニメ版パラッパラッパーOPテーマ曲)」を流しつつ、今回はお別れです。御拝読ありがとうございました。


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