80年代の女性アイドル総選挙④【アンダーガールズ】 17-32位(16人) スキップしてメイン コンテンツに移動

80年代の女性アイドル総選挙④【アンダーガールズ】 17-32位(16人)

80年代の女性アイドルの総選挙の④です。【80】にちなんで80人選出。ランキングは80~89年デビューのアイドル限定です。それゆえ『角川三姉妹』など女優色の強い人は除いています。さらにソロデビューの多かった『おニャン子クラブ』はグループでひとまとめにしています。


【アンダーガールズ】 17-32位(16人)

32位 少女隊

1984年デビュー。

デビュー時に『総額30億円デビュー』と話題になったアイドルグループ(実際、巨額のプロモーション費用を費やしたことが一因となり、所属事務所は倒産した)。

名曲「FOREVER〜ギンガムチェックstory〜」でデビューするも、初期メンバーのチーコが怪我で活動辞退になるなど、数々の不運により大ブレイクには至らず、1989年に解散した。

◆安原麗子 声優として活躍中。一女の母。◆藍田美豊 引退し結婚。三児の母(モデルの入夏は実娘)◆市川三恵子 引退後に結婚。現在は夫婦で美容院を営む ◆引田智子 結婚し芸能界を引退。



31位 芳本美代子

1985年デビュー。

幼年期から歌唱力に定評があり、地元広島では注目を集める子供だった。1983年にテイチクレコードにスカウトされ芸能界入り。

1985年に『白いバスケットシューズ』でデビュー。同期アイドルが多数いたことに加え、おニャン子クラブの台頭という『アイドルインフレ期』であったが、飾らない性格から女性ファンの支持も受けて人気を伸ばし、年末の各音楽祭でも新人賞を獲得した。

1990年、第28回ゴールデン・アロー賞・演劇新人賞を受賞。以降活躍の場は演劇の世界へと移っていった。

1996年に金山一彦と結婚し一女をもうけるも2013年に離婚。2016年に一般男性と再婚。



30位 岩崎良美

1980年デビュー。

歌手岩崎宏美の実妹であり、姉に憧れて芸能界入り。1980年の歌手デビュー以降、スマッシュヒットを重ねる。

1985年にアニメ『タッチ』の主題歌を担当。発売当初の売り上げはそれほどではなかったものの、アニメの人気と楽曲そのものの人気により、年代を超えたメガヒットとなった。

歌手休業中の90年代は舞台の世界でも活躍した。その後、歌手活動再開以降は姉宏美との共演の機会が増えていった。

2011年に医師と結婚するも、2018年に離婚している。

「タッチ」夜ヒット


29位 伊藤麻衣子

1983年デビュー。

1982年に『ミスマガジン』の初代グランプリに選ばれ芸能界入り。『不作の83年組』と言われる1983年に歌手デビューした。

テレビドラマ『高校聖夫婦』『少女が大人になる時-その細き道』と連続で主役を務めたのち、1984年には大映ドラマ『不良少女とよばれて』の不良少女役(主役)を演じ大きな話題となった。同ドラマの最終回の視聴率は27%に達し、伊藤のタレントとしての地位を大きく上昇させた。

2010年に早稲田大学人間科学部に入学しロボット工学を学ぶ。

40代になってから一般人と結婚。現在は『オーダーメイド医療啓蒙活動』のイメージキャラクターも務めている。



28位 富田靖子

1982年デビュー。

1982年に映画『アイコ十六歳』のオーディションを受けヒロインに選ばれる。同映画でデビューし、同時に「オレンジ色の絵葉書」で歌手デビューした。

1980年代は映画やドラマで主役を続けざまに演じ人気を博した。特に1985年の『さびしんぼう』はキネマ旬報ベストテン5位(読者選出1位)と高評価を受け、名作と名高いものになっている。

現在は主役級の作品は無くなったものの、名バイプレーヤーとして活躍している。ダンスインストラクターの岡本裕治と2007年に結婚し、同年女児を出産した。

「さびしんぼう」 - 1985 - Trailer 予告編



27位 本田美奈子

1985年デビュー。

1983年に原宿で少女隊のメンバーを探していたボンド企画のスタッフにスカウトされ芸能界入り。1985年に歌手デビューするも、デビュー年度はヒット曲に恵まれなかった。

翌1986年、秋元康のプロデュースで発表した『1986年のマリリン』が大ヒット。以後、トップアイドルとして活躍する。

1990年代から舞台に活動の場を広げ、持ち味である抜群の歌唱力により、その世界においても大きな成功を収めた。

2005年に急性骨髄性白血病を発症。同年11月死去。



26位 三原じゅん子

1980年デビュー。

小学校時代に『劇団フジ』に入団し、子役として芸能活動を始める。1979年には人気ドラマ『3年B組金八先生』に不良少女役で出演。人気を博した。

1980年に歌手デビュー。以後、ドラマの主役や紅白出場などトップアイドルとして活躍した。1980年代終盤以降はレースの世界でカーレーサーとしても活動。

その後は介護の世界から政界に転身し、現在は自民党所属の参議院議員として活動している。

私生活においては、1990年にレーサーの松永雅博と結婚するも1999年に離婚。同年にお笑い芸人のコアラと再婚するも2007年に離婚している。



25位 西田ひかる

1988年デビュー。

父親の仕事の関係で生後10か月から13歳まで米国で暮らす。 1988年日本エアシステムのキャンペーンガールに起用されて芸能界入り。同年歌手デビューも果たす。

明るい帰国子女というキャラクターがバブル時代とマッチし、1980年代終盤から1990年代序盤にかけては、宮沢りえらとともに絶大な人気を誇った。

また1991年の『24時間テレビ 愛は地球を救う』において、第14代チャリティパーソナリティを務めたことから、慈善事業にも積極的に取り組むようになった。

2002年に貿易会社副社長と結婚。二男の母。

ハウスフルーチェCM


24位 井森美幸

1985年デビュー。

第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンで12万人の中からグランプリを獲得。歌手デビュー当時は垢抜けなく、ホリプロの先輩の和田アキ子は、菊池桃子と対面した際に「うちの井森もこれくらい可愛かったら良かったのに」とぼやくほどであった。

歌手としては全く売れなかったが、1987年頃からバラエティー面の才能を生かし『バラドル』としての活動をはじめ大成功する。その後『元祖バラドル』『バラドルのパイオニア』と呼ばれるようになった。

50歳を過ぎた現在も容姿の衰えはあまりなく、山瀬まみとともに、いまだに『バラドル』としてのポジションをキープし続けている。

井森美幸 ホリプロオーディションの時の暗黒ダンス。



23位 後藤久美子

1987年デビュー。

小5のときからモデルを始め『テレビの国のアリス』で女優デビュー。1987年歌手デビュー。

『国民的美少女』をキャッチフレーズに美少女ブームを巻き起こした。物怖じしない言動も話題を呼び、愛称の『ゴクミ』は流行語大賞の銅賞に選ばれた。活動は女優業が中心で、数多くの映画でドラマでヒロイン役を演じた。

1995年にF1ドライバーのジャン・アレジとの熱愛が発覚。渡仏し事実婚状態となる。その後3人の子供を出産。現在はスイスの大豪邸で「家事なし」の悠々自適の暮らしをしている。

デビュー当時の「将来はお金持ちの外国人と国際結婚して海外で暮らす」という『ゴクミ語録』を実現させた。



22位 西村知美

1986年デビュー。

1984年、姉が応募したことにより、雑誌『Momoco』に写真が掲載される。翌年には素人でありながら同雑誌の巻頭グラビアを飾るほどの人気となった。その後『第1回ミス・モモコクラブ』でグランプリを受賞。芸能界入り。

1986年映画『ドン松五郎の生活』の主演で映画デビューし、同時に主題歌「夢色のメッセージ」でアイドル歌手としてもデビューした。以後、トップアイドルとして活躍する。

その後、独特の言動の面白さにより、親友の佐野量子とともに『天然アイドル』としても重宝されるようになった。

1997年、元タレントの西尾拓美と結婚。一女の母。



21位 岡田有希子

1984年デビュー。

「スター誕生!」 でサンミュージックがスカウト。周囲の反対を押し切って芸能界入りする。1984年に歌手デビューも果たし、レコード大賞最優秀新人賞を受賞。

デビュー以後しばらくは竹内まりやが楽曲を担当し、その岡田の歌唱も含めた作品のクオリティーは現在でも高い評価がされている。

1985年に『禁じられたマリコ』にて連続テレビドラマの主役を初めて演じる。

1986年1月には所属事務所の先輩である松田聖子が作詞(作曲は坂本龍一)を手掛けた『くちびるネットワーク』がオリコンチャートで1位を獲得する。

同年4月に所属事務所のビルから飛び降り自殺。享年18歳。



20位 石川秀美

1982年デビュー。

1981年「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募。審査員は別人を推したものの、西城秀樹本人の猛プッシュを受けてグランプリを獲得。芸能界入り。

1982年「妖精時代」でデビュー。「花の82年組」の一人として紅白歌合戦出場を果たすなど、アイドル黄金時代の中心人物の一人として過ごした。1980年代半ば以降はロック色の強い楽曲を好んで発表していくようになる。

1990年にかねてより交際の噂のあった薬丸裕英と結婚。以後の露出はCMの仕事のみとなり事実上の引退状態にある。現在はハワイ在住で5子の母。



19位 酒井法子

1986年デビュー。

1986年デビュー。

1985年サンミュージックにスカウトされ芸能界入り。雑誌 『Momoco』および次世代メディア『VHD』とタイアップし、1986年に史上初(最後)のVHDデビューを果たす。

翌1987年にシングル「男のコになりたい」で歌手デビュー。以降トップアイドルとして順風満帆の芸能活動を続けていく。

1990年代以降は中国語圏各地での人気が沸騰。1998年の結婚(2010年に離婚)、出産(1999年)後も人気は衰えず、国際的なアイドルの第一人者となった。

2009年、覚せい剤取締法違反で逮捕され、有罪判決を受ける。現在は芸能活動を再開している。



18位 早見優

1982年デビュー。

3歳から14歳まで米領のグアムとハワイで暮らしたため英語が堪能である。そのハワイでスカウトされ単身帰国。芸能界入りする。

『花の82年組』としてデビュー。健康的なキャラクターで人気者となる。翌1983にはコカ・コーラのCMに抜擢され、同CMソングとなった『夏色のナンシー』が大ヒット。紅白歌合戦出場を果たした。

コカ・コーラCM 早見優 1983

1986年に上智大学外国語学部比較文化学科へ入学。1991年の卒業以後は英語関連の仕事を多数手掛けるようになった。

1996結婚。2女の母。現在も『花の82年組』のまとめ役としてタレント活動を続けている。



↓アンダーガールズのセンターはこの人↓

17位 森高千里


1987年デビュー。

1986年に「第1回ポカリスエットイメージガールコンテスト」でグランプリを受賞し、糸井重里とCMで共演。1987年シングル「NEW SEASON」で歌手活動を開始する。その後プッシュされるもブレイクできない状態が1年近く続いたが、1989年の6枚目のシングル「ザ・ストレス」における「独自歌詞&コスプレ路線」が功を奏し、さらに続くシングル「17才」で大ブレイクを果たす。

「ザ・ストレス」

突き抜けたコスプレキャラと楽曲によりバブル期を代表するアイドルとなった。90年代には「私がオバさんになっても」「渡良瀬橋」「ロックンオムレツ」「雨」などのヒット曲も連発していく。

私生活で1995年のチャリティーライブで知り合った江口洋介と交際を続け、その後1999年に結婚。1男1女の母となる。結婚以後は産休期間として表立った活動は控えていたが、2009年に10年ぶりにTVに登場して以降、芸能活動を本格的に再開させている。


その⑤につづく

 

80年代の女性アイドル総選挙②【フューチャー ガールズ】49-64位(16名)



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