80年代の女性アイドルの総選挙の②です。【80】にちなんで80人選出。ランキングは80~89年デビューのアイドル限定です。それゆえ『角川三姉妹』など女優色の強い人は除いています。さらにソロデビューの多かった『おニャン子クラブ』はグループでひとまとめにしています。
【フューチャー ガールズ】49-64位(16名)
64位 松本明子
1983年デビュー。
二代目アン・ルイスのイメージで「♂×♀×Kiss」でデビューするもヒットチャートは低迷。
生放送中に放送禁止用語を言ってしまった事からアイドル業界から干されるも、事務所の後輩の中山秀征の手ほどきにより『バラドル』として大ブレイクを果たした。
その後もバラエティータレントとして現在まで活躍中。長年便秘症に悩んでいたことを告白し、腸活本を発表して話題になっている。
「♂×♀×Kiss」意外と耳から離れないスルメ曲。うっかり口ずさまないように注意が必要です。
63位 小沢なつき
1987年デビュー。
1986年に新宿でスカウトされ芸能界入り。1987年に「追いかけて夏」で歌手デビュー。清純派アイドルとして人気を博した。
1989年に『魔法少女ちゅうかなぱいぱい!』でテレビドラマ初主演するも、マネージャーと駆け落ち騒動を起こし突然降板。番組は終了し、そのまま芸能界から引退となった。
1993年にヘアヌードで復帰。2004年にはAV女優に転身。2015年まではSNSなどで近況を知らせていたが、現在の消息は不明である。
62位 志村香
1985年デビュー。
菊池桃子主演の『パンツの穴』の続編ヒロインオーディションで優勝。『パンツの穴2』でヒロインを演じた。
菊池桃子の後輩として同じ路線で売り出されていくが、大ブームとなった『おニャン子クラブ』の割を食う形で、次第にフェードアウトしていった。
デビュー曲『曇り、のち晴れ』は尾崎亜美の作品で、アイドルソングの良曲として人気が高い。事務所との契約満了をもって引退。現在は主婦とのこと。
「曇り、のち晴れ」61位 甲斐ちえみ
1980年デビュー。
黄金の80年組であり、強力なライバル陣に対して、歌の方では影が薄かったが、現役アイドルとしては異例のヌード写真集を突然出版して話題をさらった。
アイドル時代から数々のヒットドラマに出演し、1987年には連続ドラマの主役にも抜擢され、女優としての地位を固めていった。
1990年に結婚し引退。2004年には「あの人は今?」で久々にメディアに登場し元気そうな姿をみせた。しかし、2006年に自宅で首つり自殺。持病の心臓病を苦にしての事だったと伝えられている。
60位 立花理佐
代表曲『キミはどんとくらい』のバックでプレスリーのマスクを被って踊る男は、ブレイク前のホンジャマカの石塚英彦である。
デビュー二年目に事務所のトラブルに巻き込まれて芸能活動が休止となり、その後復活したものの、人気が再び盛り上がることはなかった。
現在は実質的な引退状態であり、趣味のフラダンスのインストラクターや、夫の飲食店の手伝いなど多忙な日々を送っている。
立花理佐 キミはどんとくらい
59位 大沢逸美
1983年デビュー。
ホリプロスカウトキャラバン1982でグランプリを獲得し芸能界入り。シングル『ジェームズディーンみたいな女の子』で歌手デビューするも『暗黒の83年組』の御多分に洩れず全く売れなかった。
168センチの高身長とサバサバしたキャラクターが重宝され、ドラマやレポーターなどで長期間にわたって活躍。1995年にはヘアヌード写真集も出版した。
近年はタレント業をしつつ母親の介護を続けていた。母親の死後、介護記録の手記の出版。講演活動も積極的に行っている。
58位 水谷麻里
1986年デビュー。
「ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト86」で酒井法子を抑えグランプリを獲得。同年歌手デビューする。
映画『子象物語 地上に降りた天使』では、主役級の役に抜擢され主題歌も担当。1987年からは「不思議路線」として音楽活動に力を入れる。
その後、漫画家の江口寿史との交際が始まった事に加え、先輩の松田聖子からアイドルとしての姿勢を厳しく注意された事により、芸能活動への意欲を無くしていった。
実質的引退状態の1990年に江口と結婚。芸能界から完全に引退した。
57位 森口博子
1985年デビュー。
デビュー曲が『Ζガンダム』のテーマ曲となり認知度が上がるが、ヒットが出ず所属事務所からリストラ勧告される。その後バラエティの世界に活路を見出し人気タレントに成長した。
ガンダムと相性のいいタレントで、1991年には『機動戦士ガンダムF91』の主題歌を担当。シングルチャート9位になり自身最大のヒットとなる。
2019年には『GUNDAM SONG COVERS』を発売。アルバムチャートで3位の自己最高位。女性アーティストのアルバムTOP10入りインターバル記録を更新した。
フリートークや物まね能力を買われおり、様々なジャンルで今もなお一線級のタレントである。
56位 渡辺桂子
1984年デビュー。
「スター誕生!」の予選でTVに出演しているところをスカウトされ芸能界入り。1985年には当時大人気だった大映ドラマ『乳姉妹』に主演し名演を披露。女優としても成功する。
翌1986年に出演番組で知り合った男性と駆け落ちし、渡米後に結婚。写真週刊誌上で引退宣言するも、翌年離婚し帰国する。
帰国後は「渡部桂子」名義で芸能界に復帰するも、その後に行った仕事はヌード写真集の出版と3本のセクシービデオの主演に留まりそのままフェードアウト。駆け落ち事件への制裁ではと噂された
H-i-r-o-s-h-i 渡辺桂子
55位 佐野量子
1985年デビュー。
歌手志向の強かった本人の意向に沿うように、楽曲製作スタッフには秋元康、松尾一彦(オフコース)、財津和夫など豪華なメンバーが名を連ねたが、売り上げは芳しくなかった。
「マリモは生きているんです」に代表される天然ボケがウケて、バラエティーアイドルとして大成する。そんなバラエティーの場でも、親友の西村知美同様『清純派アイドル』のイメージをずっと保っていた。
1994年に芸能界を引退。翌1995年に、前々から交際の噂のあった人気ジョッキーの武豊と結婚した。
佐野量子 「TVプレイバック」から
54位 島崎和歌子
1989年デビュー。
「アイドル冬の時代」と言われた平成元年デビュー組。レコードの売り上げはパッとしなかったが、子供向け特撮ドラマの『魔法少女ちゅうかないぱねま!』や、映画『スキ!』などで主演に抜擢されて知名度を上げる。
共演した島田紳助に認められ、1991年から『オールスター感謝祭』のサブ司会を務めることになる。以後、歌手活動に見切りをつけ、活躍の場所をバラエティーの世界へと移していった。
40代半ばになっても見た目の若さをキープしており、近年は美容に関係した活動が増加している。
53位 岩井小百合
1983年デビュー。
『横浜銀蝿』のマスコットガール(『銀蠅の妹』)としてデビュー。キングレコードの猛プッシュを受けて、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。デビューコンサートは日本武道館で行われ、武道館公演最年少記録(15歳と1か月)を持っている。
翌年、髪をショートカットにしてイメチェンするも、これが大不評に終わり、人気が急落。1987年、デート中に相手の男性が突然死。噂話が先行しイメージダウンにつながった。
その後は主に舞台の世界で活躍。また「パチンコアイドル」としての活動が話題となる。2003年に医師と結婚。米国に移住し二児の母となった。
52位 セイントフォー
1984年デビュー。
当時は「総額40億円デビュー」と大きな話題となる。同時に映画『ザ・オーディション』も公開され、一般的な知名度が上がっていった。
しかしデビュー2年目に事務所とレコード会社のトラブルが原因で表舞台から姿を消してしまった。給料の未払いも含めた問題は解決せず、デビューから2年2か月後に、本人たちの意思という形でセイントフォーは解散した。
現在は「連絡が本当につかない」という板谷祐三子を除く3人のオリジナルメンバー(岩間、浜田、鈴木)は再結成しており、様々なイベントに登場している。
セイントフォー / 太陽を抱きしめろ
51位 島田奈美
1986年デビュー。
デビュー年次は当時背全盛期だった『おニャン子クラブ』の勢いに押され地味な存在であったが、翌1987年にスマッシュヒットを連発してトップアイドルの仲間入りを果たした。
杉浦幸と西村知美と一緒に「桃組3人娘」と呼ばれていた。3人は実際にも仲が良く、島田は西村の結婚式にも出席している。
1990年に自らの意思で引退。その後は本名の「島田奈央子」名義で、ジャズを中心とした音楽ライターに転身し成功を収めている。
50位 武田久美子
1983年デビュー。
東大文化祭のアイドルコンテストで優勝しスカウトされる。映画『ハイティーンブギ』ではヒロイン役として人気絶頂期の近藤真彦と共演。1983年に『噂になってもいい』で歌手デビュー。
1980年代末からセクシー路線に転向し、なかでも写真集で見せた『貝殻ビキニ』は伝説となっている。
1999年に国際結婚し米国に移住。一女の母となるが、2014年に国際離婚した。現在はバラエティー番組などで娘とともに元気な姿を見せている。
↓フューチャーガールズ センターは↓
49位 杉浦幸
1986年デビュー。
1985年に雑誌『MOMOKO』の素人投票で1位となりスカウトされる。同年、大映ドラマ『ヤヌスの鏡』で主役に抜擢され高評価を得る。(大映ドラマは翌年も『このこ誰の子?』で主演を果たしている)
1986年に歌手デビューするも、自らの「アイドル嫌い」を隠さず公言。『小泉今日子オールナイトニッポン』にゲスト出演した際には、生放送でアイドル業界への不満をぶちまけ小泉をタジタジにさせた。
1990年、トラブルに巻き込まれホリプロを退社。その後はパチンコの世界にて『パチドル』として活躍。現在に至っている。
③につづく
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