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80年代の女性アイドル総選挙①【アップカミング ガールズ】65 - 80位 (16名)

 80年代の女性アイドルの総選挙です。【80】にちなんで80人選出。ランキングは80~89年デビューのアイドル限定です。それゆえ『角川三姉妹』など女優色の強い人は除いています。さらにソロデビューの多かった『おニャン子クラブ』はグループでひとまとめにしています。


アップカミング ガールズ 65-80位 (16名)

80位 成清加奈子

1984年デビュー。

レッツゴーヤングのサンデーズとして活躍。『うる星やつら』の主題歌の『パジャマ・じゃまだ!』で歌手デビューするも、その後が続かなかった。

パンチラなどは厭わない姿勢でイベントなどに挑んでおり、投稿雑誌の世界では「名B級アイドル」として人気を博していた。


79位 スターボー

1982年デビュー。

太陽系第10惑星「スターボー」から脱出し、地球に「A・I(愛)」を伝えるためにやってきた性別不明の3人組アイドル。残念ながら地球では全く売れなかった。

同期の「シブがき隊」の薬丸裕英が「最も印象に残る同期」として彼女たちの名前を挙げている。

現在は『「A・I」が伝わり悪い地球人も居なくなり、さらわれた母親も無事だった事から正体を明かし本当の自分達に戻った』とされている。

スターボー 「ハートブレイク太陽族」82年組夜のヒットスタジオ初登場!

 

78位 橋本美加子

1985年デビュー。

アイドル豊作の年に「サンミュージック&ワーナーパイオニア」という強力タッグにより猛プッシュされるも全く売れなかった。

晩年にはヘアヌード写真集を発表。その後は引退状態になっている。


77位 小川範子

1987年デビュー。

年少時から子役として活躍していた。『3年B組金八先生スペシャル6 新・十五歳の母』で妊娠する中学生役を演じて注目された。

アイドル歌手としてもオリコンチャートのトップテンシングルが5作品あり、楽曲のクオリティも高い。

結婚後は露出が減るも、2017年には新音源ありのベストアルバムを発表した。


76位 小高恵美

1988年デビュー。

デビュー後に受けたオーディションで「花のあすか組!」の主役に抜擢される。同番組には同時期に活躍していたアイドルが多数出演していた。

本人は「あすか」のイメージとは違って、胃弱や低血圧に苦しむ病弱な体質であり、それが早い引退につながってしまった。

現在は夫が主催する児童向けの演劇ユニットに役者&演出助手として参加している。


75位 白田あゆみ

1987年デビュー。

雑誌「モモコクラブ」出身。桃組出席番号は2番。1988年にオープンした東京ドームのイメージキャラクターにも選ばれる。

本人にはあまりアイドルに対する執着がなかったらしく、収録スッポカシ事件ののち、2年ほどであっさりと引退してしまった。

引退後は渋谷で夫とお好み屋を経営していたりした。目撃者によると現役時代よりも奇麗だったとのこと。

白田あゆみデビューイベント


74位 桑田靖子

1983年デビュー。

『暗黒の83年組』の象徴的存在。デビュー前はその圧倒的な歌唱力で「アイドルコンテスト」に複数戴冠した。

しかし『クラスで五番目に可愛い女の子』という異名が物語る通り、ビジュアルが今一つ明け抜けなく、それゆえブレイクすることはなかった。

2010年代になってから芸能活動を本格的に再開。歌唱力が話題を呼び、2017年には同期のアイドルとライブイベントを成功させている。


73位 仁藤優子

1987年デビュー。

歌唱力に定評があり、デビュー以後のシングルの多くに、アニメの主題歌などのタイアップが付いていた。

その後、喉の不調によりバラエティー路線に転向し、それなりのポジションを獲得。結婚、出産を経た今も女優業を継続している。


72位 太田貴子

1983年デビュー。

人気アニメ『魔法の天使クリィミーマミ』の主題歌と主役の声を担当。アニメの根強い人気とともに、本人にもコアなファンが沢山ついていった。

主婦業に専念し引退状態だったが、1998年ごろから芸能活動を再開。懐かしのアニメ系のイベントの常連となっている。

太田貴子 デリケートにスキしてCreamy Mami OP Delicate ni Sukishite


71位 畠田理恵

1987年デビュー。

デビュー曲の『ここだけの話~オフレコ~』はダークな曲調で、山口百恵や中森明菜路線の過激な歌詞も話題となった。

朝の連ドラの主役を務めるなど、女優業へのシフトが上手く行きつつある時期に将棋の羽生善治と結婚し、芸能界を引退した。

今はSNSなどで近況を知ることが出来る。

畠田理恵 【ここだけの話~オフレコ~】

 

70位 本田理沙

1988年デビュー。

1986年の『第1回ポカリスウェットイメージガールコンテスト』においてスカウトされ芸能界入り。1988年にシングル『Lesson2』にてデビュー。ビックヒットこそないものの、大人びた容姿がグラビア界で重宝され、息の長い活動をつづけた。

1997年に一般人と結婚し芸能界を引退するも、以後、結婚と離婚を繰り返す。現在二児の母。2010年からは地元の大分に戻り、タレントの育成業なども手掛けている。


69位 姫乃樹リカ

1988年デビュー。

TV『モモコクラブ』のメンバーとして活躍。明るい末っ子キャラとして人気者になる。同時期にはジャイアント馬場と『ジャイアントコーン』のCMにて共演も果たしている。

1995年に米国人ミュージシャンと結婚。現在は米国に在住し3児の母。

姫乃樹リカ デビューイベント


68位 伊藤さやか

1982年デビュー。

ドラマ『陽あたり良好!』のヒロイン役を務め人気を博す。サードシングルのカップリング曲『恋のB級アクション』は、アニソンの名曲として今でも根強い人気がある。

ロック路線転向以後、1986年に喉の不調により活動停止。結婚以後は主婦として暮らしていたが、2002年に芸能界復帰を宣言した。


67位 北原佐和子

1982年デビュー。

1981年に結成した『パンジー』で大きな注目を浴びており、ソロデビュー時にはレコード契約とCMのオファーが殺到した。

パンジーの仲間であった三井比佐子とともに『オンチアイドル』という有難くない評価をされている。これは彼女がブレイクしきれなかった大きな要因である。

現在は介護士をしつつ芸能時活動を継続中。二時間ドラマの名バイプレイヤーとなっている。

※そんなわけで北原と三井の歌を続けてどうぞ

Sawako Kitahara (北原佐和子) - My Boyfriend 1982

北原佐和子「マイボーイフレンド」(デビュー曲)。サビの歌唱もひどいがAメロBメロの歌唱はもっとひどい。瞳孔開きっぱなしの表情も、アイドルとしてあり得ません。

chako 月曜日

三井比佐子「月曜日はシックシック」。何もかも酷くてフォローのしようがありません。リアルジャイアンリサイタル。


66位 宇沙美ゆかり


1984年デビュー。

1983年に映画「みゆき」のオーディションに合格。メインキャストの『若松みゆき』役で出演を果たす。翌年歌手デビュー。

1984年には『不良少女とよばれて』、さらに1985年には『スケバン刑事』の主役に内定するも、事務所の方針やスケジュールの都合などにより降板。双方のドラマが大ヒットしただけに、宇沙美にとっては悔やんでも悔やみきれない結果となった。

1985年公開の映画『V.マドンナ大戦争』で主演を果たしたのち帰郷。そのまま戻らず引退状態となった。


↓アップカミング ガールズのセンターは↓


65位 新井薫子

1982年デビュー。

花の82年組の一人であったが、メディア露出にはあまり恵まれず、病気療養のため一年ほどの短い期間で芸能界からフェードアウトしていった。

(なお最終シングルの『OH!新鮮娘』は、その独特のテンションの高さからカルトソングとしての人気が高い)

その後都市伝説で死亡説が流れるが(筆者も耳にして信じていた)、本人が『夕やけニャンニャン』に登場して噂を否定した。

現在はイラストレーターに転向して成功をおさめており、アートフェアでは個人ブース(個展形式)にて作品を発表している。

新井薫子 OH! 新鮮娘   まさに大惨事というより他はありません。ウエストも・・・


続きはこちら

 

80年代の女性アイドル総選挙②【フューチャー ガールズ】49-64位(16名)




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