スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

9月, 2020の投稿を表示しています

昭和末期の自粛騒ぎ【昭和天皇の体調悪化に伴う自制の波】1988

1988年秋。病気療養中だった当時の天皇(昭和天皇)の体調が悪化し、それがかなりシリアスなものだと宮内庁から公式に伝えられたのです。事あるごと報じられる輸血の量などからも、その緊迫感は高まり、医療素人感覚でも「これは天皇やばいのかも…」という雰囲気になっていきました。それゆえ日本は全体的に浮かれた行動を慎むような「自粛ムード」につつまれていきました。今日はそんな時期のあれこれの噺です。 井上陽水「セフィーロCM」 1988年CM 日産セフィーロ みなさんお元気ですか編 井上揚水  井上陽水さんが車の窓越しに「みなさぁ~ん お元気ですか(はあと)」というCMなのですが…これが問題になりまして 「陛下が病に伏しているのにお元気ですかとは不敬なり!」 と音声がカットされてしまいました。しかしながら全ての人の脳内で陽水さんの声が再生されておりましたので、あんまり自粛の意味が無かったような気がしました。はい。 その後、このCMは別のセリフに差し替えられたのですが、それが「いろいろありますよね」みたいなものだったので、なんだか自粛騒動そのものをなめている感じがして面白かったです。 岸部一徳「インバータ照明」 88年岸部一徳CM二本 ナショナル・ダスキン 岸部一徳さんが例のとぼけた感じで「とりかえる~ならインバーター♪」と歌うCMですが、これも問題になりまして 「陛下が病に伏しているのに取り換えるとは不敬なり!」 とCMそのものが自粛になってしまいました。別にそこまで深読みしなくてもと思いますが、当時の自粛ムードを象徴するようなエピソードではありますね。 五木ひろし「結婚式」 祝事の自粛も多かったですね。 「陛下が病に伏しているのに祝い事とは不敬なり!」 というわけで・・・当時は「芸能人の結婚式の生中継」というものがブームになりつつある頃だったのですが、「五億円挙式」といういかにもバブルチックな「五木ひろし&和由布子」の結婚式&中継も延期になってしまいました。 まあこの結婚式。事前に「世紀の結婚式」と煽られていたのですが、正直「うーん、五木ひろしさんはビッグネームだけど和由布子さんの方は全くそうでもないよな」とみんなが感じていた事を覚えております。でもまあバブル期の芸能人結婚でありながら、30年以上経った今でもちゃんと夫婦なので、その辺は良かったですね。 「ついでにとんちんかん」

シブがき隊「昭和ジャニーズグループの栄光と挫折」1982-1988

 今日は昭和末期にひっそりと歴史を閉じたジャニーズグループについての噺です。 シブがき隊結成 「2年B組仙八先生」 1981年、 ジャニーズ事務所所属の薬丸裕英さん、本木雅弘さん、布川敏和さんは、 TBSの人気ドラマ「桜中学シリーズ」の「2年B組仙八先生」の出演者オーディションに合格し、主要キャストとして出演することになりました。 通年放送という長いスパンのドラマでしたので、悪ガキ役を演じた彼等の人気はぐんぐん上昇していきました。そして次第に事務所の先輩の「たのきんトリオ」の弟分的な活躍を期待されていくようになったのです。 公募&ジャニーさんが決めた名前 3人組の名称を雑誌の企画で公募することになりました。結果、投票数一位の「シブがきトリオ」というグループ名が選ばたのです。しかしその名前を伝え聞いたジャニーズ事務所の社長の ジャニー喜多川氏は、その独特の閃きで「シブがきトリオ」という名称を「シブがき隊」と変えました 。こうして晴れて「 シブがき隊」が結成される事となったわけです。 1982年のトップアイドル 「シブがき隊」は1982年5月にシングル「NAI・NAI 16」でレコードデビューを果たします。この時点で彼等はすでに 「王道の薬丸」「ハンサムな本木」「2枚目半の布川」 と、いい感じに役割分担が出来ていました。そんな解りやすさも相まって彼等はすぐに売れっ子となりました。 花の82年組 シブがき隊がデビューした1982年は「アイドル豊作の年」であり、「花の82年組」と評されておりました。 最優秀新人賞 その新人アイドル激戦の年に「シブがき隊」はレコード大賞の最優秀新人賞を獲得します。これはあの中森明菜さんや小泉今日子さんらを抑えての受賞ですから、非常に価値のある賞でありました。 彼等は 「花の82年組」のトップランナーとして時代を築いていくことになります。 充実の1983年 ライバル不在 1983年は「新人アイドル不作の年」と呼ばれる年でした。その年に同じジャニーズ事務所からデビューしたのは、あの野村義男さんの「ザ・グッパイ」というバンド色の強いグループでしたので「シブがき隊」とは競合しなかったのです。 男性グループアイドルのライバルが不在だった1983年の「シブがき隊」は、二年目のジンクスなど全く感じさせない大きな活躍を見せていきました。 シングルヒット連発

とにかく明るい80年代洋楽『男性ボーカル編』ノーテンキサウンド

  新コロナウィルスのせいで、なんとも世界中がしょんぼりしている感じですが、 ここはひとつ、「ネアカ」系の突き抜けた’80sでも聴いて、せめて気分だけでもバブル並みに盛り上げていきましょう! そんなわけで懐かしの80年代・デジタルシンセの音色に包まれたシャカシャカ・キラキラ系の「ネアカ」ソングを集めてみました。女性編に続き、今回は洋楽男性ボーカル編です。これを聴いて憂鬱な気持ちを吹っ飛ばしてくださいね。 【ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ】ワム!1984 Wham! - Wake Me Up Before You Go Go (Official HD Video) ワム! ワム!は1981年にジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーが結成したイギリスのデュオグループです。1982年にインディーズデビューすると、あっという間にメジャーでもブレイクしていきます。 当時の彼等は『ロックバンド』というより『ジャニーズ系』的な受け入れられ方をしておりました。 1983年アルバム『ファンタスティック』を発表し、全英チャートで初登場1位を記録しますが、まだこの段階ではワムの人気はイギリス国内に留まっておりました。 しかし1984年にエピックレコードに移籍すると、その人気は世界的にブレイクし、アルバム『メイク・イット・ビッグ』が爆発的な大ヒットを記録します。日本でも2人はマクセルのCMに起用され、あの 村上春樹氏が「最近のお気に入りはワム! あの底抜けの明るさは嫌いじゃない」と評価 するなどさらに人気が上昇しました。 maxell UDⅡ CM 1984年 Wham! 60fps 1985年にはクリスマスソングの名曲『ラスト・クリスマス』を発表。さらには欧米ロックアーティスト初の中国公演も実施します。日本においては西城秀樹が『ケアレスウィスパー』を『抱きしめてジルバ』という曲名で日本語カバーし、スマッシュヒットを記録しました。 しかし人気絶頂期だった 1986年にワム!は突然解散を発表 します。同年6月28日、サッカーの聖地として名高いロンドン・ウェンブリースタジアムにてラストライブを行い、ワム!は本当に解散してしまいます。 そして時は過ぎ・・・2016年にジョージ・マイケルが死去した事により、ワム!の再結成は永遠に無くなってしまいました。 ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ 8