1988年秋。病気療養中だった当時の天皇(昭和天皇)の体調が悪化し、それがかなりシリアスなものだと宮内庁から公式に伝えられたのです。事あるごと報じられる輸血の量などからも、その緊迫感は高まり、医療素人感覚でも「これは天皇やばいのかも…」という雰囲気になっていきました。それゆえ日本は全体的に浮かれた行動を慎むような「自粛ムード」につつまれていきました。今日はそんな時期のあれこれの噺です。
井上陽水「セフィーロCM」
1988年CM 日産セフィーロ みなさんお元気ですか編 井上揚水
井上陽水さんが車の窓越しに「みなさぁ~ん お元気ですか(はあと)」というCMなのですが…これが問題になりまして
「陛下が病に伏しているのにお元気ですかとは不敬なり!」
と音声がカットされてしまいました。しかしながら全ての人の脳内で陽水さんの声が再生されておりましたので、あんまり自粛の意味が無かったような気がしました。はい。
その後、このCMは別のセリフに差し替えられたのですが、それが「いろいろありますよね」みたいなものだったので、なんだか自粛騒動そのものをなめている感じがして面白かったです。
岸部一徳「インバータ照明」
岸部一徳さんが例のとぼけた感じで「とりかえる~ならインバーター♪」と歌うCMですが、これも問題になりまして
「陛下が病に伏しているのに取り換えるとは不敬なり!」
とCMそのものが自粛になってしまいました。別にそこまで深読みしなくてもと思いますが、当時の自粛ムードを象徴するようなエピソードではありますね。
五木ひろし「結婚式」
祝事の自粛も多かったですね。
「陛下が病に伏しているのに祝い事とは不敬なり!」
というわけで・・・当時は「芸能人の結婚式の生中継」というものがブームになりつつある頃だったのですが、「五億円挙式」といういかにもバブルチックな「五木ひろし&和由布子」の結婚式&中継も延期になってしまいました。
まあこの結婚式。事前に「世紀の結婚式」と煽られていたのですが、正直「うーん、五木ひろしさんはビッグネームだけど和由布子さんの方は全くそうでもないよな」とみんなが感じていた事を覚えております。でもまあバブル期の芸能人結婚でありながら、30年以上経った今でもちゃんと夫婦なので、その辺は良かったですね。
「ついでにとんちんかん」
天皇陛下の容体悪化に伴いアニメやバラエティ番組に対しても
「陛下が病に伏しているのにとんちんかんとは不敬なり!」
というわけで・・・放送休止が相次ぎました。
とはいえ、それは一斉自粛というわけでもなく、「『ドラえもん』は放送するが『ついでにとんちんかん』は放送しない」というような線引きに、明確な理由というものはありませんでした。それゆえになんだか今一つ不明瞭でもあったのです。
ロート製薬「オープニングキャッチ」
というわけで、しばらくの間(1988年10月~12月)オンエアされることはなくなりました。
シブがき隊「ラストシングル」
この時期にジャニーズグループの「シブがき隊」が解散(解隊)したのですが、もともとラストシングルとなるはずだった「サヨナラだってお祭りさ!」は、
「大喪の礼をお祭りとは不敬なり!」
というわけで「君を忘れない」に変更となりました(でもよくよく考えてみると発売の時点では崩御前なんだから、このタイトルの方がより問題があるような気がする)。
シブがき隊の解隊は、ブレイク以降のジャニーズの人気グループの初の解散劇であり、当初は解散特需のようなものも期待されたのですが、はびこる自粛ムードに飲み込まれ、「シブがき隊」は実にひっそりとその活動の幕を降ろしていった印象がありました。
ソウル五輪「放送中断」
天皇の体調悪化の発覚はちょうどソウル五輪の時期でした。これは五輪好きの僕にとっては、まさに青天の霹靂と言うべき出来事でした。僕は『ザ・テレビジョン』に「バブルドラマの助監督の台本」並みに大量に書き込みを入れてスケジューリングして、視聴&録画などを万端に準備してきたわけですよ。それが・・・
日本選手予選落ち→「いよいよここから世界の一流アスリートが登場だ!」→『ここで天皇陛下のご体調について宮内庁から発表です。輸血量は……』
「ようやく臨時ニュースが終わった!さあ体操はどうだ!」→『先ほどの男子体操はアルティモフ選手の優勝でした。では予選落ちの日本人選手のダイジェストです』
というような事ばっかりでしてね。全くもってふざけん… (以下自粛)
中日「ビールかけ」
そんななかで当然のことながら野球の優勝チームのビールかけも
「陛下が病に伏しているのにビールかけとは不敬なり!」
となり、セリーグ優勝の中日も、パリーグ優勝の西武もビールかけを自粛しました。
しかしながら・・・実は例の10.19で負けた近鉄は「残念会」と称してビールかけをやっていたのです。これは『喜びのビールかけは駄目だが悲しみのビールかけはOK』だろうという強引な理屈が成り立つような・・・成り立たないような・・・
でもまあ「僕のせいで負けました」と土下座する阿波野に「そうだ!お前のせいや!」とビールをみんなでぶっかける近鉄ナインの様子はなかなか清々しかったです。
(ちなみに西武は日本一の際にはビールかけを行いました)
「音楽祭」
1988年の音楽祭も
「陛下が病に伏しているというのに歌い踊るなんて不敬なり!」
というわけで、中止の判断を迫られることとなりました。
結局、最大の賞である「日本レコード大賞」は行われましたが(ちなみに「光GENJI」が大賞を受賞した年です)、他の音楽祭は中止が相次ぎました。
以下は中止になった音楽祭の一覧です。
新宿音楽祭
日本歌謡大賞
全日本歌謡音楽祭
横浜音楽祭
日本テレビ音楽祭
全日本プロレス「流血試合」
昭和のプロレスと言えば流血試合が鉄板でしたが、これも問題になりまして
「陛下が輸血治療で頑張っておられるのに流血試合とは不敬なり!」
と、自粛の波がこんなところにも訪れていたのです。
「流血試合って自粛とかできるもんじゃないだろ?」という声も聞こえてきそうですが、その辺りは「そこが丸見えの底なし沼」であるプロレスです。きっちり対処しておりました。
4コマまんが「オチ」
秋祭りからクリスマスケーキ、さらには「笑っていいとものオープニング」に至るまで、1988年の自粛ムードというのは不思議な広まりを見せていたのですが、遂には「漫画のギャグを自粛する」という、自粛の鏡のような人間が現れました。
それはあの江口寿史氏でして、彼は「爆裂ディナーショー」という連載において「四コマ漫画のオチを自粛する」という、とてつもない自粛を実行したのです。
中にはオチのみならず『4コマ全部自粛』というものもあったりしまして(タイトルはあった気がする)、それはほんと面白かったですね。何も書いてないのに噴き出してしまうというところに、案外、この時期の「自粛ブーム」の真相があったように感じたりしてます。
結局、とどのつまりはバブルでしたね。
うん。
コメント
コメントを投稿