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ストロング・マシーン軍団「金太郎飴集団の素顔」1984-1985

新日本プロレスが所属選手の大量離脱に見舞われた1984~1985年の事を、プロレス界では「冬の時代」と呼んでおりますが、そんな時代に突如登場したのが、謎の怪覆面集団「ストロング・マシーン軍団」でありました。今日はそんな彼等の噺です。 ◆YOUTUBE動画版はこちら◆ 「マシーン軍団の真実」 キン肉マン登場? 1984年8月24日、新日本プロレスの後楽園ホール大会に 「目出し帽&アメフトのプロテクター姿」 の謎の男が登場し、若手レスラーをタックルで次々と吹き飛ばしました。そしてマネージャー役の若松市政(ショーグンKYワカマツ)と共に、TV放送の解説席にいた猪木選手に挑戦を表明したのです。 当時、新日本プロレスには人気マンガの「キン肉マン」が登場するのではと噂が流れておりました。 その噂を裏付けるようにワカマツマネージャーは『キン肉マン消しゴム(キン消し)』を客席に投げ入れており、さらには、その男の目出し帽から覗き見えるマスクのデザインは、まさに「キン肉マン」そのものだったことから、 『噂のキン肉マンが遂に新日本に登場か?』 と場内は大騒ぎになりました。 不満の声 しかし、それは必ずしも好意的に迎えられたものではありませんでした。そのワカマツマネージャーを伴ってのヒール的登場もさることながら、この「キン肉マン」というギャグマンガのキャラクターが、当時の新日本プロレスファンのストロングスタイル信仰というものに、全く合致しなかったのです。 それゆえ各プロレス誌なども、この新日本プロレスの動向を 『同じマンガから生まれたマスクマンでも、シリアスなタイガーマスクとギャグマンガのキン肉マンでは全く性質が異なる。そういうキャラクターをリングに登場させるのは如何なものか?』 と、かなり否定的に報じていました。 正体は平田淳二 しかもこの時、この「目出し帽男」の正体は、海外武者修行中とされていた「平田淳二」選手だとバレバレだったのです。    何故かこれは平田「淳三」になっている 当時の平田選手は未来の新日本のエース候補でした。 新日道場で同期の前田日明選手らと切磋琢磨してきた地力には定評があり、さらにはボディビルで鍛えられた肉体や、そのいかにもベビーフェイス然したマスクの良さなども、若手時代から大いに人気を呼んでいたのです。 ですので、彼の凱旋を期待していた人たちからは 「何

ブルガリアン・ヴォイス【太陽系を超えて響く歌声】神秘の歌声をもとめて 1986~

1988年の初夏。当時高校三年生だった僕に、大学生の姉が「明日の朝、細野晴臣主演のブルガリアの番組をやるみたいだよ。あなた東欧が好きなんでしょ?」と教えてくれました。 その時は『まあ3倍モードなら30分くらいビデオが余っているから、とりあえず録画でもしようかな』というような感じだったのですが、まさかその後、そのビデオテープを500回くらい見直すことになろうとは…今日はそんな噺です。   AGFテレビエッセイ 旅の街から     1987~1988年の日曜の朝10時、テレビ朝日系列局では『旅の街から』という番組をやっておりました。   「思い入れのある一枚の絵、音楽、映画、小説などを旅券代わりにして、それぞれの分野の有名人が、その舞台となった街を訪ねてみる」   というコンセプトで作られている世界旅行番組でしで、当然、毎週海外ロケであり、主演した有名人本人がナレーションも担当するという、「バブル期」ならではの豪華な旅番組だったのです。 細野晴臣がブルガリアへ その「旅の街から」で、音楽家の細野晴臣さんが訪ねたのはブルガリアのソフィアでした。当時は東欧革命&ベルリンの壁崩壊の前でしたので、まだまだ「東側」というムードが、画面からも強く視て取れました。まさにミステリアスですね。 そしてそのブリガリアから伝わり、世界的に話題になっている「奇跡の歌声」というもの。それを細野さんは追い求めていたわけです。 「この女声合唱団の何が僕を惹き付けたかというと、この地球上で最も洗練されていて、最もバランスを持った音楽だと、そう感じたのです」(細野さん)   旅の街から【ブルガリアンヴォイス】細野晴臣 1988 そして辿りついた歌声というのは… まあこの動画を見て頂ければ一目瞭然というか、一聴瞭然だと思うのですが・・・それはあまりにもストレートに、感受性マックス期の僕の胸に、グサッと突き刺ささったのでありました。 ブルガリアン・ヴォイスとは? もともとブルガリアの農村に伝わっていた民謡から発生したもので、地声の不協和音のハーモニーで歌われます。さらにはビブラートの代わりに独特の「こぶし」が用いられており、それも大きな特徴となっています。 1951年に作曲家フィリップ・クーテフ氏がブルガリアの民謡に独自の編曲を施して、現代にマッチした「ブルガリアン・ヴォイ ス」を編み出しました。1986