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斉藤由貴①【アイドル時代の魔性の女】1984-1985

 斉藤由貴さんと言うと「恋多き魔性の女」というイメージの方も多いでしょうが、デビュー当時のアイドル時代の彼女は、一体どんな感じだったのでしょうか?今日はそんな噺です。

デビュー前の斉藤由貴

斉藤由貴さんは1966年に横浜市で生まれました。「オタク系ネクラ少女」というデビュー当時の異名が示すとおり、学生時代の彼女はあまり目立たない大人しい少女だったそうです。

その頃はイラストを描いたり、詩を書くのが趣味だったそうで、それはデビュー後の作詞活動やイラスト詩集の出版にも繋がっています。


1984年の斉藤由貴

1984年の斉藤さんはアイドルとして大ブレイクするための、壮大な足掛かりの年だったように思います。

第1回東宝シンデレラ

斉藤由貴さんの芸能界入りのきっかけは、公式のインタビューでは「内向的な自分を心配した母親が東宝シンデレラコンテストに勝手に申し込んだ」ことが理由とされています。まあ真偽は確かめようがないですが、普通、親が17~18歳の娘に内緒でそんなことをするのかとな思ったりもしまして…僕は正直、これはかなり眉唾なエピソードだなと思っていたりします。

コンテストでは最終ファイナリストの3人まで残りますが、グランプリは沢口靖子さん、審査員特別賞は藤代宮奈子さんが獲得し、残念ながら斉藤さんは受賞を逸してしまいました。

   後方で沢口さんを睨む19番が斉藤さんですね。


第3回ミスマガジン

当時売れっ子だった写真家の野村誠一さんと、週刊少年マガジンのタイアップ企画「第3回ミスマガジンコンテスト」にも、斉藤由貴さんは「弟が勝手に応募した」という、これまた眉唾ものの理由で参戦します。そしてこの時は見事にグランプリを獲得したのです。

実のところ、このとき既に斉藤さんは東宝に所属しておりました。そこで沢口靖子さんとの売り出しの差異化を図るために、先行していた沢口さんの「女優路線」に対し、斉藤さんを「アイドル路線」として売り出す事とのなったのです。ですのでミスマガジン参加とグランプリ獲得は、その流れの中で必然的に起こったものなのでした。


その後、斉藤さんは「ミスマガジン」として、野村氏の撮影のもとで、少年マガジンの表紙やアイドル誌のグラビアを飾り、ティーンズの中での知名度をどんどんと上げて行きました。

さらには雑誌グラビアだけでなく「フォトグラフィックマガジン斉藤由貴」という写真集も出版します。その中ではこの時期限りのグラマラスな水着姿も披露しています。

青春という名のラーメン

斉藤由貴さんの存在が全国区なっていったのは、1984年の秋に発売されたカップラーメン「青春という名のラーメン」のTVコマーシャルに出演してからのことでした。彼女はアイドルとしてのブレイクが、歌手デビュー前に出演したCMからだったという新しいパターンの人だったのです。

CMで流れる楽曲は中崎英也さんの『胸さわぎ』です(翌1985年に斉藤さんの「卒業」差し替えられました)。ナレーションは斉藤由貴さん本人が担当し「胸騒ぎ、ください」「誘惑してもいいですか?」という意味深なフレーズも大きな話題となりました。

このCMの最初のバリエーションでは、斉藤由貴さんは『口元のみ』という登場でした。それにより小出し的に注目させ、その後に登場した「ポニーテールのセーラー服美少女」の物憂げな様子が一気に話題となったという…なかなか上手い展開ですよね。


青春という名のラーメン大全集 斉藤由貴

 斉藤由貴さんにとって、このCMが正真正銘TV初登場であり、ミスマガジンで彼女を知っていたティーンズにしても、動く彼女を見たのも、その特徴的な声を聞いたのも、実はこの時が初めてだったのです。

「青春という名のラーメン」ラインナップ


胸さわぎチャーシュー
誘惑ベジタブル
純情コーン
努力もち
知的なタコイカ
勝手にミートボール 
翔んでるナゲット
燃えろハンバーグ

最後の「燃えろハンバーグ」の末期感が凄いですね。
そもそもハンバーグってラーメンの具材になりうるのかという…

1985年の斉藤由貴

1985年の斉藤さんは、80年代という時代を味方につけ、一気にトップアイドルに上り詰めていきました。


野球狂の詩

80年代のアイドル全盛期にフジテレビは「月曜ドラマランド」というアイドル主演の2時間ドラマ枠を設けておりました。1985年の1月、斉藤由貴さんは、歌手デビューをする前に、この枠のドラマ「野球狂の詩」で、女優としてデビューを果たします。

このドラマはアイドル主演の若年層向け青春コメディドラマでしたが、ここで重鎮の伊東四郎さんと共演したことにより、彼女の中に「女優志向」というものが高まって行きました。

原島弁護士の愛と悲しみ

2月には緒形拳さん主演のスペシャルTVドラマ「原島弁護士の愛と悲しみ」に出演し、『殺人犯の殺された娘』という難しい役どころ演じました。ここで緒形拳さんや佐藤慶さんと共演したことは、女優としての斉藤さんの大きな財産となりました。

オールナイトフジ女子高生スペシャル

同月には「オールナイトフジの女子高生スペシャル1」にて、初バラエティ出演&初司会にチャレンジします。この番組は「おニャン子クラブ」の原型になったことでも有名ですね。そしてこの番組のラストでデビューシングル「卒業」をTV初披露します。

デビューシングル「卒業」

「青春という名のラーメン」のCMが好評だった事から、同シリーズの新商品のCMソングを斉藤由貴さん本人に歌わせる事となりました。ヒットメイカーの松本隆&筒美京平コンビが制作を担当した楽曲は、商品のイメージ通りの、実に青春感溢れる作品となりました。

「卒業」はオリコン、ベストテン、トップテンの全て10位以内入りするという大ヒットソングとなり、斉藤由貴さんはここでアイドルとして完全にブレイクを果たしたのです。


卒業のテレホンカード

デビューシングル「卒業」のテレホンカードが作られたのですが、その後のテレカ収集ブームの際には、このカードに一時「30万円のプレミア」がついた事でも話題となりました。プレミアの理由はNTT民営化前の「電電公社時代のカード」であったことが主ですが、それでもこの異常な高値というのは、当時の斉藤さんと、そしてこの「卒業」という楽曲そのものの非常に高い人気を表しているエピソードだと思います。


スケバン刑事

「今度ドラマの主演が決まりました。スケバン刑事という凄いタイトルのドラマなんですが、皆さん宜しくお願いします」

当時、斉藤さんが雑誌のインタビューでそう答えていた際には、ひょっとして冗談じゃないかと思ったものですが、まさかそんなドラマが、その後、何代も受け継がれる人気シリーズになろうとは思いませんでした。

斉藤さんが連続ドラマの初出演を果たした「スケバン刑事」は、フジテレビ系列で1984年4月から2クール(半年期間)でオンエアされました。もともとこのドラマは宇沙美ゆかりさん(実写版「みゆき」などに出演した新人アイドル)が主演となる予定だったのですが。スケジュールの都合が合わず、急遽斉藤さんに主役の「麻宮サキ」役が回ってきたそうです。

しかしながら「代役」であったことが信じられないほど「セーラ服の謎の美少女」という設定は、当時の斉藤さんのイメージそのままだったのです。

番組と斉藤さんの人気はうなぎのぼりになっていきました。そしてすごく正直に言って、このドラマは主演が斉藤さんだったからこそヒットしたドラマだと思います。

主題歌「白い炎」

ドラマの主題歌の「白い炎」は当時大人気だった安全地帯の玉置浩二さんが作曲を担当しました。ビートが効いたロック調の楽曲で、デビュー曲とはまた違った斉藤さんの魅力を世に伝えることとなりました。


「スケバン刑事」は視聴率につき、斉藤さん主演のまま延長も検討されましたが、水面下で斉藤さんに対して大きなオファーがあり、斉藤さんは予定通り降板することとなりました。その後「麻宮サキ」役が代々受け継がれていったのは皆様も御存じの通りです。

またこの時期から、斉藤さんは自身がモルモン教の信者であることや、祖父母がろう者であることなどを、インタビューなどで公式に発言するようになっていきました。

「カルピス」イメージキャラクター

「青春という名のラーメン」に続くCM出演の第二弾は「カルピス」になりました。それまでは吉永小百合さんがイメージキャラクターとして長く出演されていましたので、斉藤さんの起用は大抜擢ともいえるものでした。

文庫本の夏のキャンペーンにも似たイメージですね。斉藤さんとカルピスとの付き合いはこの後、3年にも及びました。

デビューアルバム「AXIA」

6月にはデビューアルバム「AXIA」が発表されました。AXIAとはギリシャ語で「高貴なもの」という意味であり、これは富士フィルムが当時全盛だったカセットテープ市場で、ブランドリニューアルした際のブランド名(FUJI→AXIA)でもありました。

富士フィルムは「AXIA」のイメージガールに斉藤さんを起用し、斉藤さんのデビューアルバムはAXIAとタイアップものとなりました。

「AXIA」全曲プチレビュー

「卒業」言わずとしれた卒歌の定番曲

「石鹸色の夏」いまだ夏の終わりにヘビロテ中

「青春」世界最強の夕焼けの放課後感

「フィナーレの風」とても歌いやすい曲

「AXIA 〜かなしいことり〜」(別途解説)

「白い炎」まさに麻宮サキの世界観そのまま

「上級生」「白い炎」の世界観のつづき

「手のひらの気球船」とても可愛らしい良曲

「感傷ロマンス」大人っぽい雰囲気でラストにつなぐ

「雨のロードショー」歌のい方のタメが素晴らしい


「AXIA~かなしいことり~」

CM曲でありアルバムの表題曲ともなった「AXIA~かなしいことり~」は、作詞家の銀色夏生さんが「青春という名のラーメン」での斉藤さんの姿にインスピレーョンを受け、作詞作曲した楽曲です。二人は写真週刊誌上で対談し意気投合しておりました。
楽曲は「二股少女の切ない思い」を歌ったもので「ごめんね 今まで黙ってて 本当は彼が居たことを」という歌詞がアイドル楽曲にしてはあまりに強烈でしたが…

今となっては銀色夏生氏の、そのさすがの慧眼にひれ伏すより他はありませんね。

このAXIAレーベルと斉藤さんとのつきあいは以後4年に及ぶこととなり、AXIAは彼女の初主演映画にも出資することとなります。

初のコンサートツアー

8月からは初のコンサートツアー「AXIA〜そっと熱く、もっと一緒に」が開催され全国を廻ります。ツアー最終日の名古屋公演において、19歳の誕生日をサプライズで祝ってもらい大変嬉しかったそうです。

公演セットリスト
「卒業」
「フィナーレの風」
「青春」
「感傷ロマンス」
「上級生」
「AXIA〜かなしいことり〜」
「石鹸色の夏」
「やさしさに包まれたなら」
「12月の雨」
「魔法の鏡」
「少しだけ片思い」
「50'sポップスメドレー」
「海の絵葉書」
「初戀」
「雨のロードショー」
「手のひらの気球船」
「白い炎」

初主演映画「雪の断章-情熱-」


1985年秋。斉藤由貴さんの初主演映画「雪の断章 -情熱-」が年末に封切られることが発表されました。原作は佐々木丸美氏「雪の断章」であり、「セーラー服と機関銃」で一世を風靡した相米慎二監督がメガホンを取ることとなりました。
役者さんに対して厳しい姿勢を取ることで有名な監督だけに、斉藤さんも御多分に漏れずスパルタ的な演技指導を受けていきます。


「監督に四股を踏んで気合を入れろと言われていたので、現場ではお相撲さんのように四股を踏んでいた」
「あるシーンで『思い切って脱いでしまえ』と言われたので、思わず脱ぎそうになったができなかった」
「監督には何を言っても心の底が解られてしまうので何も言えません」



斉藤さんのコメントが物語る通り、北海道の現場はかなり厳しいものがあったようですが、多くの実力派俳優にも囲まれ、斉藤さんはこの場でさらに女優としての力量を高めていきました。


映画は1985年の12月21日に公開され、1986年のお正月映画として7億円というまずまずの興行収益を記録しました。ここから東宝は斉藤由貴さん主演の映画をシリーズ化していくことになります。

オリジナルビデオ「微・少女」

「雪の断章」の撮影の合間を縫って、オリジナルPV集である「微・少女」の収録も行われ、映画に先駆けてビデオ発売されました。
「手のひらの気球船」亀井登志夫作の隠れた名曲です。

このようにして斉藤さんのデビューイヤーである1985年は大成功のまま幕を閉じていきました。この年は空前のアイドルデビューラッシュの年でしたが、巨額のプロモーション費用をかけてもうまく売れない人たちも多い中、斉藤さんはアイドルとして120点満点の活躍を見せたと思います。

そして翌1986年は、斉藤さんにとってさらに飛躍の年となるのでした。

つづく


斉藤由貴②【女優開眼する魔性の女】1986-1987


アイドル&芸能人の噺




















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