『ローカル』という言葉には『地方』のイメージが強くしみついているものですが、しかしながら1989年のバブル絶頂期に福島から上京した僕は『東京にもローカルなものが結構あるんだなあ』と、しょっちゅう思っていたものです。今日はそんなものたちの中から、東京ローカルCMについての噺です。
ヨドバシカメラ
♪まーるいみどりのやまてせん♪ という誰しもが知っているはずのCMソングですが、福島時代には『強引に受信していたニッポン放送』のラジオCMでしか聴いたことのない幻のCMソングでした。そしてそれ故に、余計に「ヨドバシカメラ幻想」というものが自分の中で高まっていたのです。
そんなわけで本格的に上京した僕は、TVとビデオと冷蔵庫とトースターを買いに、さっそくヨドバシカメラに行きました(新宿のボロアパートなので徒歩10分で行けたというのが、今思えば恐ろしい話です)。
そして新宿西口と言えば超高層ビル街です。ですので
『新宿西口の駅の前に、どれほどデカいヨドバシビルが立っているのだろう』
と思っていた僕ですが、実際のヨドバシカメラの、そのあまりに小さく雑然とした店構えに「もしやこれだけ?」と、とてもがっかりしたことを覚えております。そもそも駅の前じゃないですしね。
当時は『写ルンです』が全盛期でありまして、一階のカメラ売り場に恐ろしいほどの人で溢れかえっておりました。
そして二階のTVビデオ売り場では、その時に再結成していた「サディスティック・ミカ・バンド」のプロモーション映像が延々と流れており、その中では桐島かれんが跳ね回っておりました。
まだまだビデオは高価な時代でしたが、とびぬけて安い品物が2つありまして、僕がどちらにしようかと悩んでいますと
「こっちは外国製(三星)だからこっちがいいよ」
と薦めてくれたのが「FUNAI」のビデオデッキでした。なんか時代というものをしみじみ感じますね。
直ぐに見たいので、ビデオとテレビ(14インチ)は持ち帰りにした僕は(ビル街をテレビの箱を担いで歩く18歳)、家でつないだTVにおいて、あの有名なヨドバシカメラのCMを、初めて動画で視たのでした。
そして当然、このCMのクオリティに「これはひどい」と、がっかりしたのでした。はい。
石丸電機
お次は秋葉原です。当然地元には秋葉原がありませんでしたから、石丸電機のCMも初見でした。このCMって、一見同じように見えて、しょっちゅう撮り直しているんですよね。
当時は電車に乗ると「お前さん、それほんとに電車で運ぶつもりかい」というほど、巨大なテレビや冷蔵庫などを強引に持ち帰っている人がいて、僕は「秋葉原というのは何だか凄いところなんだなあ」と勝手に感心していたものでした。
その後しばらくしてから秋葉原に行ったわけですが、駅前でいきなり実演販売をしていて(それも何人も)、なんか本当に妙な街だなと思った記憶があります。まあ品ぞろえはさすがだなと思いましたね。
バブル期の人気者のダリの美術館が秋葉原にあって、それが新宿に移転したのもこの頃でした。そしてそういうことを別に不思議な事だと思わなかったのは、バブルという時代のせいだったのでしょうね。
学生援護会an
【CM 1989】学生援護会 an "nice to meet you." 60秒
1989年は求人雑誌が電話帳並みの厚さだったり、日刊で出たりしていた凄い時代でした。それゆえTVCMもバンバン流されておりました。
そんな中でセンスがあるなと思ったのは、若者向け求人誌「学生援護会an」のCMですね。ちはるが主演の「壁画編」と言われるものです。僕はちはると同い年で、なおかつ当時、美術の道を目指しておりましたので、このCMに遭遇すると、なんだか同志に会ったというか、少なからぬシンパシーを感じていたのです。
BGMのリタ・クーリッジの曲も良いですよね。
吉野家
ぎゅーどんひとすじ80年♪
平成元年の時点で、僕の故郷の福島には吉野家がありませんでしたので、僕は上京までこの有名なCMソングを「キン肉マン」でしか知らなかったわけです。
それで当時の牛丼の価格は370円でした。驚くべきことに30年以上たった今でも、価格はほぼ変わらないわけですが(!)、少なくとも「牛丼一筋」ではなくなりましたし、流れた年月も120年となったわけですね。
そもそも『ソースカツどん』がソウルフーズの福島では、この『牛丼』そのものにあまりなじみがなく、僕自身、この時まで牛丼を食べたことはありませんでした。そんなわけで上京後、新宿の住まいのすぐ近くに吉野家があるという事実を知って、なかなか胸が躍ったわけなのです。
しかしながら…ヘタレな僕は「牛丼を食べに行く」という行為がどうしてもできなかったのです(謎)。なおかつ持ち帰りを頼むこともできなかったので(!)、家に遊びに来た友人たちに、泊める代わりに買ってきてもらっていたのですな(もちろんお代は払います)。なんでそんなに苦手だったのか今となっては解らないのですが・・・まあ初めて食べた牛丼はほんとに美味しかったですよ。うん。
文明堂
♪カステラ1ばん でんわは2ばん♪
夕方の『ワールドプロレスリング』の時間帯で、このCMを初めて見た際には「なんなんだこれは?」と当然思いましたね。特に「なんで電話が2番なんだ?」と。
理由は以下です Wikipediaから引用
人形が歌う「電話は二番」というフレーズだが、これは、文明堂の加入者番号が0002番だからで、当時の電話交換機は交換台を経由する時代であったため、交換手に局の名前と2番(例として赤坂局の2番)と告げれば文明堂に繋げた事から1937年(昭和12年)に文明堂が電話帳の裏に載せていた「カステラは一番、電話は二番」というキャッチフレーズに由来する。
引用終わり
うーん、解ったような、解らないような…
銀座じゅわいよ・くちゅーるマキ
当時流行りのベランダ・カーライルがシンボリックパーソンでしたね。少なくとも僕にとっては最後の最後まで謎の店でした。
北の家族
ローソン&サンチェーン
何気に思い出深いのはこのCMです。当時のローソンがなぜか一押しにしていた低年齢層向け化粧品のCMです。バブルっぽい突き抜けた明るさがありますね。曲も良いです。
地元にはセブンイレブンしかありませんでしたので、『サンチェーン』のセブンイレブンとは全く異なる雰囲気には驚きました。近未来感強めというか‥‥特に「おにぎり」がビニールアルミ包装されていたのにも驚きました。何か「宇宙食」みたいな未来感があったという…まあ、その感想そのものが田舎者感極まれりですけど。
でもよくよく考えてみれば、包装のせいでおにぎりの状態が分からないのって、傷みやすいご飯ものだけに、ちょっと不安でもありますよね。
サンチェーンはその後、ローソンに統合されてしまいましたが、あの独特の清潔感は嫌いじゃなかったです。懐かしいな。
ステーキ・ホリタン
♪ここは新宿~ ステーキホリタン♪
『食テロ』という言葉がありますが、新宿のボロアパートで常に飢えていた当時の僕にとって、一番の食テロというのは『うっかりステーキホリタンのCMに遭遇してしまう』という事でした。
ですので僕は『いつしかビックになって思う存分ホリタンしてやる!』と思っていたのですが…その後、ステーキホリタンは日本橋出店が失敗に終わり、1991年に全店閉店となってしまいました。新宿店だけで堅実にやっていれば良かったのに…
伊東ハトヤ ホテル紅葉
懐かしいCM 伊東温泉 「ハトヤホテル & サンハトヤ」 新・海底温泉
♪むかしむかしうらしまは~はとやのかめに~♪
♪びわこお~んせ~ん ほてるこ~よ~う♪
これらも東京に出てきて初めて視たCMです。福島時代も深夜のCMと言えば観光ホテルのCM(「飯坂温泉ホテル聚楽」「鬼怒川観光ホテル」など)でしたので、東京もそういうところは変わらないんだなあと思いました。
僕は毎夏、南伊豆に行くのですが、その道中で朝日に照らされた『サンハトヤ』が見えてきますと、ついつい、
♪むかし~むかし~
と脳内リピートしてしまいます。はい。
というわけで「東京ローカル話」のCM編は終了です。
どれもこれもみな懐かしいですね。
TV&CM
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